人は[意味の世界]をつくった
色即是空・空即是色 というと、悟りだとか、覚醒だとか、精神的境地の問題として受け取られがちですが、これは[存在の原理]です。
原理 というより、事実 です。
しかし、この[事実]を、事実としてなかなか受け止め切れず、ひとは皆[意味の世界]に埋没しているので、座禅であるとか、瞑想が、必要になってくるんですね。
「生きる手応えなんてないんだよ。だって先生は、生きていないんだもの」
「あらゆることが考えつくされているのだとしたら、あらゆることは考えつくされていると考えたその考えもまた、すでに誰かによって考えられていたことになる」
「うめきつつ探し求める者のみを愛す」
「うめきととともに考えられたものはすべて新しい」
「創造する必要はないのだ。表現する必要もない。ただ、楽しめばいいのだ」
「言葉は実体ではない。実体の影でもない。むしろ実体のほうが影なのだ」
「私たちの魂には、欠如がある。その欠如に気づいたものだけが、魂の彷徨いを始めなければならない。私はすでに、歩き始めた」
「言葉を棄てよ。そうすれば世界をお前の手に委ねてやろう」
穏やかでせつない開放の感覚は、ものごとの性質をはっきり理解することに結びついている。p14
わたしの考えでは、この自由とか生の神秘の認識と結びついている感覚というものが、たしかにある。どういうものかと言うと、染みわたる優しいせつなさのようなもの、好奇心や驚きの穏やかな感覚だ。p25
それとは対照的に、さっき言ったようなせつなさの感覚は、何かによって生じるわけではなく、境界のない開放性からやってくる。境界のない開放性が望むのは、いま起こっていることだけだ。p26
このせつなさはいつだってここにある。p29
せつなさを感じる瞬間、昔住んでいたアパートを訪ねて懐かしさを感じる時間、そんなとき、わたしたちは生のはかなさと神秘性を感じる。今にも自分がばらばらになりそうな、自分がほとんど消えてなくなってしまったような、そんな感じがする。p38
せつなさの染みわたる感覚がある。それは宇宙的なハミングのようなもの。ビッグバンのあとに残った放射のようなものだ。p42
怒り、嫉妬、後悔、不安、強迫的な欲求、いわゆる「反応性」の感情は、この根源的なせつなさからわたしたちを守ろうとする。p43
このせつなさを感じながら、そこから背を向けないでいられること。それが<目覚めていること>の感覚的な側面だろう。p44
こう考えてみると、せつなさとは何か、それから経験がなぜ、この崇高でありながらほろ苦い感覚で満たされているのかが理解できる。生きるという経験がせつないのは、それが「しがみつけないこと」で成り立っているからだ。p46,47
この探求は甘美なものですが、人という名の組み立て品にとっては、必ずしも楽なものでも、ほっとするものでもありません。何が現れても怖じ気づかないようにして下さい。P137
不快感や痛みはそのままにしておいたらどうでしょう。不快感や痛みは何を表しているのだろうとか、何かの象徴ではないだろうかと考えたりせずに。p116
気づきと気づきではないように思えるものの違いを調べるとき、この「気づきではないもの」を広げて抱きしめてみる。そのとき気づくのは、それがじつは自分自身だということだ。p30
私たちはお互いを励ますことができます。それは私たちが世界のためにできることであり、私たちは恥ずかしがる必要はありません。それはあまりに深く、あまりに根本的なことなので、それについて語ることは、あらゆる人たちの中のもっとも深いレベル、彼らの最も深層の心に訴えるものであることを確信できるでしょう。
ついに完成! pic.twitter.com/fgzve6D2JS
— ヒロ / Hiro (@resonanz360) 2013, 12月 23
ものごとをコントロールする「私」も「自分」も存在していないんだ。誰にとっても最初からそうだったんだ、ということがわかるというだけです。ものごとは起こっている、それだけです。p34
自分がゲームをしているということにしだいに気がつくようになって、邪魔になるような観念をいろいろ抱えていたことがわかりました。そういう観念を手放していくにつれて、自分がほんとうは誰であるかという真実を生きることができるようになっていきました。p49
死や死後の世界についてのいろんなことは、人があまり不安を感じないでいられるようにするためにでっち上げた単なる物語なんだ。天国もないし、地獄もないし、サンタクロースもいない。p72
人生においては何か特定のものごとが自分を動かし続けているというのが、普通の考え方でしょうね。それが執着です。あるのは生だけ、生だけ、生だけなんです。他には何もありません。そして、<これ>のすべてがこの生の現れなんです。どんなものも、どんな人もです。p108
だがそこ[この本の中の普通の人たちの言葉(中野注)]には不思議なリアルさがある。そのリアルさに触れるとき、世界が奇妙な質感をもって迫ってきたり、自分とは誰なのかという理解が揺らいだり、突如理由のない爆笑や号泣が生じたりすることがあるかもしれない。あるいは、そんなことがまったく何も起こらなくても今のままで十分だったんだ、という安心感がやってくるかもしれない。p190
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Author:中野真作
スピリチュアルセラピスト。1997年からヒーリング&カウンセリングルーム「スペースまほろば」主宰。悟り・非二元の視点から人生のあらゆる苦しみを手放すお手伝いをしています。
スカイプセッションと境港での対面セッションは随時、東京・大阪での出張個人セッションやお話会も定期的に行っています。セッションの詳細につきましては、スペースまほろばをご覧下さい。