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心の癒しと意識の目覚めのために

スペースまほろば別館 本当の自分を知り、楽に生きるためのヒント 自己実現、悟り、アドヴァイタ、非二元、瞑想、プロセスワーク、スピリチュアル、アダルトチルドレンetc...

存在のダンス

先日の大阪出張から帰ってきてから、自分の内側がすごく落ち着いてきた感じがしています。私にとって大阪や東京への出張は、多くの方と直接エネルギーの共鳴を感じることを通して、大きな癒しと変容の機会になっています。

自分の内側にまだまだ残っていた「こうでなければいけない」という思い込みがまた小さくなった感じがします。このありのままの自分をありのまま認め、許し、愛することがさらにできるようになってきた感じ。

具体的に言うと(これはお話会などではよく語っていますが)、この仕事を長年続けているにもかかわらず、どこか世間一般の普通の人と違う生き方をしている自分を許せなかった感じとか、もっとお金を稼いだり有名になったりするとために頑張らないといけないという思いなどがずいぶん小さくなって、身体もさらに楽になってきた感じがしています。

自分のありのままを許せていないと、周囲の人にも無意識にそのエネルギーが伝わり、口では「ありのままでいい」といいながら、どこかでそれに反するメッセージを行動で発してしまいます。

「中野温泉」と呼ばれているように、私といるだけで皆さんがホッとする感覚を感じてくださるのは、私自身が「こうでなければ」という思い込みから自由になってきていること=私はいないということに気づきつつあることと関係しているような気がします。


ありのままの自分を本当に認められるようになってくると、自分の見ている世界はすべて自分自身の投影、自分の思い込みを見ているだけだということがわかってきます。自分のありのままを許せていない分だけ、この世界に何か問題があるように見えるのだ、ということがわかってきます。

そんなこと言われても本当にありのままの自分を許してしまったら社会の中では生きていけないよ、と思うかもしれません。

もちろんこの社会の中で生きていくためには最低限守らないければいけないルールはたしかにあります。

でも、もしあなたがありのままの自分でいることが全く許されていない環境にいると感じているならば、それはこれまであまりにも自分自身を許していなかったために、同じように自分を許していない人たちを無意識に引き寄せ、お互いのことを否定し合い、縛り付けあっているからです。

そんな中で自分が自分のありのままを表現し始めると、どうしても周囲の人たちとの間で摩擦が起こります。そこが目覚めと癒しのプロセスの中でとても難しいところです。

そんな時は勇気を出して少しずつありのままの自分を許し、それを適切な形で周囲に表現していくことも必要です。最初はなかなか難しいかもしれませんが、人から否定されるされるということは自己否定の表れなんだ、そもそも自分を否定する人なんてどこにもいないんだ、全てが私なんだ、ということがわかってくるにつれ、徐々に自分のありのままを上手に表現できるようになり、やがてそれを認めてくれる人もあらわれます。人間関係が自然と変わってくるのです。

私はいない=私と他者の間に分離はないのだ、とわかって初めてありのままの私をきちんと表現できる、つまり、個としての私がしっかりしてくる感じがします。

やがて、自分とか他人といった区別は単なるストーリー、社会を営んでいく上での一つのルールにしかすぎないということがわかってきます。全てはたった一つのエネルギーの表現、存在そのもののダンスのように見えてきます。ダンスに目的はなく、踊ること、表現することそのものが目的です。

さあ、ダンスを楽しみましょう。



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特別セミナー「目覚めのプロセスを生きる」 5月27日(日)13:30〜16:00 残席4
皆生温泉リトリート 6月22日(金)〜24日(日) 早割期限は4月23日までです。
境港お話会 4月21日(土)13:00〜16:00
Zoomお話会 4月18日(水)20:00〜21:45

大阪出張個人セッション
 5月28日(月)〜30日(水) 残席4
※スカイプ・電話セッション、境港での対面セッションは随時ご予約をお受けしています。予約状況はこちら

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『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる―非二元・悟りと癒やしをめぐるストーリー』好評発売中です。このブログのエッセンスが詰まっています。全国の書店でもお買い求めできます。読んで下さった方のご感想リンク集もご覧下さい。


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[ 2018/04/05 17:57 ] 続・なーんだそうだったの? | TB(-) | CM(-)

悟りなんて何が楽しいの

悟りに興味があるのだけれど、悟ってしまったら何にも興味がなくなって楽しくないのではないか、とおっしゃる方がときどきおられます。悟りがそんなものなら別に求めなくてもいいような気がする、と。

私自身は悟りたくてこういう道に入ったわけではないので、そう言われて、どう答えていいものか、最初は迷いました。私は、ただ生きることが苦しくて、それをどうにかしたくて、いつのまにか探求の道に引き込まれていました。そのうち、私が体験しているものが伝統的には悟りと言われているものと同じなんだ、ということがわかってきただけ、という感じだったからです。

でも、いろんな体験をしながら生きることが少しずつ楽になってきた今は、その質問にだいぶはっきりと答えられるようになりました。

悟りという言葉が意味しているものが何なのかわかってくると、何をしても楽しいし、何もしていなくても楽しい、という感じがすることが増えてきます。楽しさが外的な状況とは関係なく感じられることが増えてくるのです。

存在そのものに由来する楽しさ、喜び、そんなものを感じることが増えてきます。すると、日常の何気ない体験から喜びを感じることができるようになってきて、特別な体験を求める必要が減ってくるのです。

ただ、そんな感覚を感じるということは、同時に、存在そのものに由来する悲しみ、虚しさも同時に感じるということです。人は必ず死ぬということ、どんなに深い愛情で繋がっている他者がいるとしても、一人で生まれてきて一人で死んでいくということ。

多くの場合、内面の探求を深めていくと、最初は悲しみや虚しさのほうが強く感じられるようになって、さらに深く探求を進めていくのが難しく感じるときがあります。

でも、悲しみや虚しさを感じるということは、その道が間違っていないということの現れです。その感覚も起こるままにして十分味わっていくと、その先に、存在そのものに由来する喜びや平安があるのです。

そういう意味で、否定的な感情はすべて大切な道しるべです。どんな感情を感じていても、それでいいのです。その自分をただ感じること、認めること、愛することだけが必要です。

もちろん、それもできなかったとしても、それでも大丈夫なのです。



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[ 2018/04/04 17:24 ] 続・なーんだそうだったの? | TB(-) | CM(-)

世界という夢、自分という夢

先日ふと思いついた言葉をツイッター〜フェイスブックに投稿したら、これまでにないほど多くの「いいね!」をいただいてちょっとびっくりしました。こんな言葉です。

私たちは夢を見ている
世界という夢

自分という夢

夢であることを忘れると生きることは苦しくなる

夢だとわかりながら夢を見ること


多くの人がこの感覚に気づき始めているのだな、と改めて思いました。この感覚について私が最近感じていることを少し言葉にしてみます。


皆自分が自分の意思で何かをやっていると思っているけれど、その意思すら自然に湧き出してきている。その結果起こる行動も自然に起こってきている。

それがわかると、他の人の行動もその人がその人の意思でやっているわけではないことがわかってくる。

そもそも、人(個人)という実体があるわけではないことがわかってくる。

それがわかる、ということすら、自分がわかっているわけではなく(わかる主体があるわけではなく)、わかること、理解そのものが起こっている。

その理解が起こってくると、自分を責めることがなくなってくる。人を責めるということがなくなってくる。何かがよくて、何かが悪い、という分離の思考がなくなってくる。ありのまま、という言葉の本当の意味がわかってくる。

こういう言葉を聞くと、では戦争はいいのか、殺人はいいのか、という考えが浮かんでくるかもしれない。それはもちろん、分離の世界の中では悪いこと、避けるべきことだ。

でも、戦争はいいのか、殺人はいいのか、という思考すら、自然に起こってくるし、その(分離の世界の中での)悪を改善するための行動すら自然に起こってくる、ということがわかってくる。

あなた=私=大いなるもの、なのだとわかったとき、人間関係のトラブルをはじめとして、この世界のすべての問題はまったく違う質を帯びてくる。

この世界のすべての悪(のように見えるもの)は、私たちが分離の世界の中だけに閉じ込められている(夢を唯一のリアルな世界だと思い込んでいる)ために起こっている。

問題(のように見えるもの)は、私たちを目覚めへと誘ってくれる大切なきっかけ。分離という思い込みにはまっていることを教えてくれるメッセージ。

すべてはある種の夢のようなものだとわかったとき、あなたの存在そのものがこの世界を本当に改善する力になる。善悪の境界線を越えるパワーになる。生きることの喜びを世界に広げる媒体になる。


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3月25日(日)の新大阪お話会は、午後のみの開催ですので3月4日の東京に比べると時間は半分ですが、東京でお話した内容のエッセンスを凝縮して、「『私』をめぐる冒険」というテーマでお話します。まだ参加者3名ほどですので、みなさんとゆっくりお話できると思います。

3月26〜28日の大阪出張個人セッションはキャンセル待ちを受け付けています。

3月21日(水・祝)のZoomお話会も参加お申し込み受け付け中です。


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[ 2018/03/17 13:58 ] 続・なーんだそうだったの? | TB(-) | CM(-)

何の目標もないしどこへも向かっていない

3月4日(日)は半年ぶりの癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリートです。癒しと目覚めの全体像を、お話と沈黙の共鳴、いくつかのエクササイズなどを通してお伝えします。残席8名となっています。空きがあれば当日飛び入り参加も可能です。

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今日の記事は前回の直接の続き、ではないのですが、最近気になっている言葉について。

「自分は何の目標も持っておらず、どこへも向かっていないという事実の認識こそが、覚醒に近づいていることの、また覚醒が本当に可能になりつつあることの最初の兆候である。」グルジェフ


このグルジェフの言葉は周期的に私の心に深く響いて、プロセスを深める触媒の役割をはたしてくれています。毎回、思い出すたびに、違った味わいを感じさせてくれる言葉でもあります。

最初にこの言葉を読んでハッとしたときには、どうしてこの言葉が気になるのかよくわからないけれど、なぜか気になる、という感じでした。そのうち、もう少し気づきが深まってくると、本当は何もないのだ、という虚しさのような感覚とともにこの言葉が響いてきた感じがします。今回、この言葉を思い出して感じるのは、「何もない」ということの安心感です。


私たちは毎日いろんなことをやっています。いやいややっていることもあれば、自分にとって大切な何かがあって、それに一生懸命に取り組んでいることもあるでしょう。

全体性への気づきが深まってきて、分離というものがすべてまぼろしのようなもの、単なるストーリーだとわかり始めると、嫌なことや嫌な人が減ってくる一方で(それらもすべて自分の一部だとわかるので)、自分が熱意を持ってやってきた事柄が「はたしてこれをやることに意味があるのだろうか」というふうに感じられてきて、人生の方向性を見失うような感覚になることがあります。

私のセラピーを受けて下さる方では、それまで心理学的なセラピーやカウンセリングなどを行なっていた方が、こういった感覚を持つことが多いようです。

そんなときにこそ、この冒頭の言葉を思い出してみてほしいのです。

本当は分離はない、ということ。それはつまり、誰かが何かをしているわけではない、ということ。何かのために何かをしているわけではない、ということ。何かが他の何かよりも意味があるとか、大切だ、ということはない、ということ。

この言葉のもつエネルギーを味わっていると、徐々にそんな感覚が自分の存在全体に浸透していく感じがします。自分というアイデンティティが、この心と身体を超えて拡がっていく感じがします。

そんな感覚が深まってくれば、人生の方向を見失うような感覚も小さくなってきます。そもそも方向というものはなく、今、ここがあるだけだ、ということがわかってくるからです。


どんなことをやっていても、それには特別の意味はないのだ、とわかってくると、不思議なことに、結果を心配することなくやりたいことを自由にやれるようになってきます。そもそも、何も意味はないのですから。

やがて、自分がそれをやっている、という感覚が小さくなり、ただ行為が起こっている、という言葉の意味がわかってきます。

そうなったとしても、多くの人は、それまでやってきたことを同じようにやっていくでしょう。でも、その行為は以前とはまったく違う質を伴っています。それは、今ここにただ存在しているだけの安心感、すべてがそのまま、ありのままで存在していてもいいのだ、という安心感からやってきます。

あなたがやっていることがカウセリングやセラピーなどの人を直接援助する行為であれ、物を作る仕事であれ、会社の事務仕事であれ、家事や子育てであれ、何もせずに家にいることであれ、あなたがそこにいることそのもの、あなたの存在そのものが、世界全体の目覚めを手助けすることになるのです。


また、このグルジェフの言葉のもう一つのポイントは
覚醒に近づいていることの、また覚醒が本当に可能になりつつあることの最初の兆候である。
この「最初の兆候である」というところです。

「何の目標も持っておらず、どこへも向かっていない」ということがわかることは、スタート地点にしかすぎません。そこから、その気づきのエネルギー、光そのものがあなたの存在全体へと拡がっていくプロセスが始まります。いわゆる「自我の死」のプロセスが始まるのです。

ですから、どんなときにも焦る必要はありません。これでわかった、と思ったときはいつでもそこがスタート地点だし、同時に、そもそもの最初から行くべき場所はどこにもありません。

あなたは、最初から悟っているし、光そのもの、スピリットそのものです。安心してもいいのです。




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[ 2018/03/01 15:36 ] 続・なーんだそうだったの? | TB(-) | CM(-)

涙のわけ

突然腰が痛くなって動けなくなってから、その痛みをありのまま感じていると、とめどなく涙が流れてきました。最初の2、3ヶ月は起きている時間の半分くらいはひたすら泣き続けていました。このあたりのことも私の本『「私」という夢から覚めて、わたしを生きる―非二元・悟りと癒やしをめぐるストーリー』の中で書いてるので、本に書けなかったエピソードと、その後感じたことをいくつか書いてみます。

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ひたすら泣き続けた2、3ヶ月がすぎても、毎日のように何回かは涙の発作のようなことが起こりました。それは大抵、腰を含めた身体全体がしんどくなってきて、起きているのがつらいな、と感じてきて、横になったときです。身体の緊張が緩んでほっと一息ついたとき、溢れるように涙が出てきました。

私は若い頃から身体もガチガチで、それまでにも身体をほぐすための体操やストレッチなどをやってみようと思ったことががあるのですが、だいたい三日坊主で終わっていました。それが、泣けば泣くほど身体の深い部分が緩んできて、物理的にも可動域が広がってくるような感じがしました。

その頃からやっとストレッチなどを真剣に継続してやるようになりました。やったぶんだけの効果が初めて感じられるようになったからです。

ストレッチをしているときに、身体の深い部分で「ポキッ」という感じの音がして深い部分が緩んだ瞬間に涙がどっと溢れて来る、ということがよくありました。

感情は身体の緊張の中に閉じ込められている、ということはよくお話していたのですが、これほどまでにはっきりと感じられたのは初めてでした。

逆に言えば、感情を解放しないかぎり、どれだけ外側から身体を緩めようとしても難しいのだな、ということも痛感しました。

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私の父はいつも咳をしていました。子供の頃、父の咳が聞こえてくると、なんとも言えない重苦しい気分になったことを思い出します。

私も癒しと目覚めのプロセスの中で、周期的に咳が止まらなくなる時期がありました。また、これはほとんど毎日だったような気がするのですが、朝トイレでう○ちをしていると、いきむのと同時に咳が出る、ということがよくありました。

今回、激しく嗚咽するように泣いていると、そのまま咳をするような感覚になったり、また涙が出てきたり、ということがよくありました。

ブレスワークをすると、激しく咳き込むことがよくあります。また、ブレスワークのあと、しばらく咳がとまらなくなることもあります。咳というのは身体が無意識に感情を吐き出そうとしている反応なのだな、と感じていたのですが、今回の体験を通して、そのことが実感としてよくわかりました。

父は本当はいつも泣きたかったのだと思います。それは私も同じでした。父はそれを咳という形で表現していたし、私はそれがおねしょだったのです。私も自分の泣きたい気持ちを認められていなかったので、父の咳を聞くのがとても辛かったのだと思います。

咳がとまらないときは、意識的に咳をしてみるといいと思います。何かを吐き出すようなつもりでわざと激しく咳き込んでみるのです。その奥にあるであろう悲しみや寂しさにすぐには触れることはできないかもしれませんが、感情のエネルギーを意識的に解放していくことで、なんらかの変化が起こることと思います。

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この涙の発作は、今でもときどき起こります。しばらく起こらないときもあったり、内面が動く感じがするときには数日間連続して起こるときもあります。その兆候は、なんとなく身体がだるくなってきたり、なんとなく微妙な不安感のような、落ち着かないような感覚です。

以前はこういった感覚をずっーと無視し続けていたのだな、と思います。忙がしさに逃げたり、目覚めた自分というアイデンティティに逃げたりすることで、無意識深くに閉じ込めていた悲しみや寂しさからの大切なメッセージだった身体のだるさや不安感を感じないように頑張っていたわけです。

泣きたいときに十分泣けば、そのたびに、昔の自分の感覚からは想像もできないくらい、心は静かになり、身体も楽になってきます。このエネルギーを押さえ込んだままでいたら、心身の病気になるのも当然のような気がします。

でも、もし私が病気で入院しているときに、今家でいつもやっているように突然泣き出したら、精神的におかしくなったと思われて、薬を投与されるだろうな、と思うと、なんとも言えない気持ちになります。本当はそんなプロセスを十分に体験しつくして通過していくことが一番必要なのに。

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セラピーを受けて下さる方の中には、毎日泣きたくなるのだけれど、どうしたらいいのだろう、自分はおかしくなったのではないだろうか、と心配する方もおられます。

でも、それは心配いりません。もうこれ以上抑えておくことができなくなってきたので、自然と溢れ出しているのです。状況が許すときは、泣きたいだけ泣いてみてください。十分に泣けば、自然と次のステップがみえてきます。

ただ、それは数日や数週間で終わるものではないかもしれません。それまで数十年間の人生で抑えこんできたエネルギーをある程度解放していくには、数年レベルで時間がかかります。

また、あまりにも抑えているエネルギーが大きい場合は、いきなりそのすべてに向き合うのは難しいですから、それを受け止める準備ができた分から少しずつ向き合っていく必要があります。

その準備というのは、まず自我の力、それを受け止める私の包容力です。でも、自我の力には限度があります。もっとも深い痛みは自我(分離した私、小さな私)の力だけでは受け止めきれません。

そのとき、非二元的な認識、全体性への気づき、すべては本当は空っぽなのだ、という気づきが大切になります。どんな深い痛みすら、本当は私の痛みではないのだ、その痛みすらスピリットの表現、光そのものなのだ、という気づき。

そのことが見えてくると、心の痛み、というものも単なるストーリーにすぎないことがわかります。それをわかりながら、痛みを癒すというストーリーを演じていくわけです。


続きます。


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スキンシップと根源的な愛

4年近く前の腰痛のあと、腰の痛みや身体全体のしんどさをありのまま感じ取っていると、閉じ込めていた感情が嵐のように噴出してきました。そのとき、私の個人的な癒しのプロセスの中で最後まで見つからなかったパズルのピースがやっとはまったような感じがしました。身体も心も辛くてほとんど動けないのに、これでやっと自分自身と繋がった、本当に自分になれた、というような安心感を感じました。

人は目覚めるために生きている、ということとも関連していますが、人生の中で起こる一見否定的なことは、自分という全体性から切り離してしまった自分の一部がここにあるんだよ、ということを教えてくれる大切なメッセージです。

私はずいぶん若い頃に全体性を一瞥する体験をしたのですが、その体験は私にとって大切な道しるべにはなったものの、それだけでは人間としての人生は楽にはならなかったのです。

このあたりのことについては本の中でも詳しく書いているので、本に書けなかった、また本を出した後に起こった印象的な出来事とその後感じたことを思いつくままをいくつか書いてみます。


前回の記事にも書きましたが、スキンシップの大切さをあらためて感じました。人は人生の一番最初の時期に他者から愛情を込めて触れられることで、自分がこの世界の中にありのまま存在してもいいのだ、という根源的な安心感を感じ、同時に、他者とは違う肉体を持った自分というものがこの世界に確かにいるのだ、という感覚、つまり一番根源的な自我の感覚をしっかりと感じるのです。その感覚があいまいなままだと、その後の人間としての成長がどこか不安定になるのだと思います。

腰を痛めてからはお休みしていますが、私がアロマテラピーのオイルマッサージに興味を持ってセッションメニューに加えるほどまでにハマっていたのは、そういった根源的な自己受容の感覚が自分自身にとって必要だと、どこかでわかっていたからだと思います。

以前は妻と二人で互いにマッサージしあって練習したりしていたのですが、忙しくなってくるにつれ、ほとんどしなくなっていました。でも、腰痛のあと感情が溢れるようになってから、身体に触れほしくてしょうがない時期があり、妻にたのんで何度もオイルマッサージをしてもらったりしました。するとまた涙が溢れてくるのです。マッサージしてもらいながら赤ちゃんみたいに泣き続けたりしました。本当に、赤ん坊の頃に経験できなかったことをやり直しているような感じがしました。

とはいえ、私も妻もスキンシップが不足していたことは自覚していたし、普通のカップルに比べればずいぶんスキンシップをとっていたと思います。それでも、腰痛以前には私の中でこれほどの深い癒しと変容が起こらなかったのは、自分の内側にあった感情(寂しさや孤独感)にしっかりと触れることができていなかったからだと思います。

身体は一緒にいたのに、心は全然一緒にいなかった感じがします。それは妻だけでなく、これまで私に関わってくれたすべての人に対して同じような感覚を感じるのです。みんなに申し訳ないような、人生もったいないことをしてしまったような、そんな感覚です。


この文章に何かを感じて下さる方は、もし身近なパートナーがいれば、ただ触れてほしい、抱きしめてほしい、ということを伝えてみて下さい。そんなパートナーがいない人は、自分自身の身体に両腕をまわして自分を抱きしめてみて下さい。そのとき感じるあらゆる感覚をそのまま感じることを自分に許してみて下さい。

多くの人は自分の一番深い痛みにすぐには触れてしまわないように自分を守っているので、なかなか感情を感じることができない人もいるかと思います。それでもこの文章を読んで興味を持って下さった方は、思い出したときでいいですので、自分を抱きしめてみて、自分の内側で何が起こるかを探求してみてほしいのです。

一方で、若い頃の私がそうだったのですが、人から触れられることが苦手だったり、場合によっては怖かったりする人もいると思います。これは自分の痛みに触れてしまうことの恐れです。そんなときは、まずその恐れをよく感じ取ってみて下さい。ポイントは、その奥にある触れて欲しいという欲求、根源的な愛を求めている欲求をどれだけ自覚できるかということです。

(余談ですが、不適切な状況で人に触れることで人に不快な思いをさせてしまう人(痴漢など)は、本当は絶望的なまでに人の愛を求め、人に触れて欲しいと思っていながら、それをまったく自覚できていないのではないかと思います。)

一番大切なことは、人生の中で感じる、どんな感覚、どんな感情も、ただ感じることを許すこと、ありのままに感じとっていくことです。それが自分を愛すること=世界を愛すること。そうすることで、普段忘れているこの世界のもう一つの側面に気づく道が開かれます。自分が肉体を持ってこの世界の中に生きている意味がわかってくるのです。

続きます。


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3月4日(日)は半年ぶりの東京1dayリトリートです。癒しと目覚めの全体像を、お話と沈黙の共鳴、いくつかのエクササイズなどを通してお伝えします。
癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート

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[ 2018/02/22 17:27 ] 続・なーんだそうだったの? | TB(-) | CM(-)

抱きしめて

前回の記事の続きとして私のストーリーを書いていると、なんだか、苦しみ自慢というか、私こんなに大変だったのよ!ねえ、聞いて聞いて!というエネルギーに満ちているなぁ(^_^;)という感じがしてきました。本当の私はこんなのだけど、みんなこんな私を受け入れてくれる?という気持ちのような気がします。

ちょっと読みづらいと感じる方もおられるかもしれませんが、一度書いてしまわないと、本当にそれをストーリーだとして、手放して次に行けない感じがするので、ご興味お持ちの方のみお読みいただけると幸いです。


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一昨年、私の初めての本が出版されたとき、帯に紹介文を書いて下さったヒロさんが、ご自身のブログでいち早く紹介して下さいました。その文章を読んだときに、本の内容とは直接関係のないある一文が私の心に深く響きました。

こどもの頃、自分が何を求めているかもわからずに泣き叫んでいたことがあった。混乱のまっただ中にあったそのとき、母が急にぎゅっと抱きしめてくれた。そのときの安心と深呼吸。それを思い出す。


そうなんだ、この世界にはそういう体験もあるんだな、と思ってちょっと驚きました。

その少し前から、何人かの人に母親との関係について質問をしたことがあるのですが、生きることの辛さを抱えて様々な探求をしている方でも、母親との間に心に残る暖かな情緒的体験をしていたりするんだ、ということを知って意外に感じたこともありました。

誤解のないように言っておきますが、私の両親は家業をとても真面目に勤め上げ、いわゆる毒親のような要素はまったくなく、周囲から見れば何の問題もない家庭でした。でも、いつの頃からか、私の内側には何かとても大切なもの、人として生きていくために一番ベースとなる何かが欠けているのではないか、という思いもぼんやりとあったのです。


私は物心ついてから母親とスキンシップをとったという記憶がありません。正確に言えば、スキンシップで安心感を感じたという記憶がありません。もちろん、赤ちゃんの頃はだっこされたりおんぶされたりしていたはずですから、無意識の領域ではなんらかの交流はあったはずです。それすらなければ私は生きていないでしょうから。でも、物心ついてからは、身体接触をともなって人に甘えるという感覚を体験したことがなかったのです。

保育園から小学校低学年くらいの頃、事務所で仕事をしている母のそばにいって「何か面白いことない」と何度も聞いていたのを思い出します。返事はたいてい、「自分で探しなさい」というようなものだったと記憶しているのですが、今思えば、そのときの私は心細くて泣きたかったのだと思います。そんな自分をただ抱きしめてほしかったのです。

今は自分の中にそんな気持ちがあることがよくわかるのですが、でもその頃は、抱きしめてもらうという経験をしたこともなかったので、抱きしめてほしいという自分の欲求にも気づけていなかった感じがします。そのとき泣きたかった涙は小学6年まで続いたおねしょとして外に流れ出ていました。

また、両親との間に心に響くような人間同士としての会話をしたという記憶がほとんどありません(父との間にはかすかにいくつかの記憶があるのですが)。

妻と話をすると、子供の頃お母さんが遅くまで仕事で寂しかった、とか、お母さんが帰ってきて嬉しかった、というようなことを語ってくれるのですが、私はその感覚が全然わからなかったのです。

家庭というのはリラックスして安心できる場所だ、というのも今ひとつ意味がわからない言葉でした。もちろん、家の中がいつも混乱していたわけではありません。ただ、今思えば、四六時中、微妙な緊張感の中にいたような気がします。家にいて親と話すときも緊張して吃ってしまうのはどうしてなんだろう、と思った記憶もあります。

両親との繋がりを感じていなくても、祖父母など両親以外の養育者と深い関わりを持っている人もいると思います。私は両親とも、それ以外の誰とも繋がっていなくて、本当に世界の中にひとりぼっちでいたような気がするのです。世界の中に入れなかった、人間ゲームの中に入れてもらえなかったような孤独感を、心の奥でずっと感じていたようです。自分だけが別の星からきたような感じがしていました。


今思うともうおかしくて笑ってしまいそうなのですが、腰痛までの50年近い人生の中で一生懸命にやってきたことのほとんどは、自分の感情を感じないようにするための、本当の自分の痛みに触れてしまわないようにするための抵抗だったのです。

そのことに気づき始めた頃、一時は、人生無駄にしてしまった〜、というような絶望感に苛まれ、死んでしまいたい、という思いが自然と出てきて自分でも驚きました。

でも、それは、そのときはそうするしかなかったということ。その痛みを受け止める力がなかったということ。そうして感じないようにしておくことで、なんとか生き延びてこれたのです。

そういう意味で、宇宙は本当にうまくできているのだなと思います。人生の中でさまざまな困難が起こって、それに振り回されたりするのは、一番深い痛みにいきなり触れてしまわないように自分を守ってくれる、ある意味、防波堤のようなものなのです。

しかし、やがて、そのもっとも深い部分に触れる時がやってきます。閉じ込めていたものが意識に浮上して、本当の癒しが始まるのです。

続きます。



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[ 2018/02/16 18:37 ] 続・なーんだそうだったの? | TB(-) | CM(-)

目覚めるために生きている

寒波も去って、青空が戻ってきた境港です。幹線道路はきれいに除雪されていますが、住宅街の細い道はまだまだ踏み固められた圧雪ででこぼこのところが多く、運転には気を使います。

さて、皆生温泉リトリートが今年で4回目になるということは、新大阪のセッションルームを引き上げて新しい生活に入るきっかけとなった、腰痛でほとんど動けなくなった数ヶ月からもうすぐ4年になることになります。

最近、いろんなことが一段落して次のステップに進みつつあるような気がするので、この頃感じている気づきをまとめてみたい感じがしています。以前シリーズで書いていた「なーんだ、そうだったの?」の続きのような感じで書いてみようかと思います。

——

なによりはっきり感じるようになったのは、私たちがこうして肉体を持って生きているのは、目覚めるためだ、ということです。

目覚める、というのは、自分と世界の本質を思い出すこと、全体性を思い出すこと、すべての分離(私とあなた、私と私以外、あれとこれ、など)はある種の幻想、ある種の思い込み、つまりはストーリーであって、実際には存在していないということを思い出すこと、です。

それを思い出したとき、「本当の癒し」「苦しみからの解放」「悟り」「神を知る」そんな言葉で表現されていることの意味がわかります。

この現象世界全体が、一度、全体性、あるいは、大いなるものとしての自分を忘れてしまい、それを再び思い出す、というゲーム、あるいは、芝居のようなものなのです。

もちろん、本当に全体性を思い出したとき、すべてはゲームである、ということも一つにストーリーにすぎないこと、ゲームの一部だったということがわかります。でも、ゲームであることを忘れて苦しんでいる個人にとっては、とても役に立つストーリーだと思います。


世界全体が目覚めるためのゲームなのですから、あちらこちらにそのゲームの謎を解くヒントが仕組まれています。というよりも、この世界の中で体験するすべてが、これはゲームなのだよ、本当は分離はどこにもないのだよ、ということを教えてくれるメッセージなのです。

ところが、悲しいことにほとんどの人はこれがゲームであることを忘れて、唯一リアルな現実だと思い込み、いつでも目の前にある謎解きのヒントに気づくことすらありません。(最近、このことを思うたびに悲しくなって涙が出てきたりします)

そのヒントとは、心理学的に言うと「投影」という心の働きです。本当はすべてが「それ」、すべてが「自分」なのに、自分で受け入れられない自分の一部は自分から切り離し、自分ではないものとして無意識に抑圧してしまいます。その結果、自分の世界の中にとても心を揺り動かされるさまざまな人や出来事が現れてくるのです。

もちろん、その人や出来事は、ある意味ではこの世界というゲームを苦しくも楽しく彩ってくれる大切な一部です。このゲームが楽しく感じる間は十分に楽しむことも必要です。ただ、それがゲームだということを忘れてしまうと、楽しみすらそれに執着してしまうことで苦しみの原因となってしまいます。

すべてがゲームだとわかりながら、つまり、すべてははかないものなのだ、とわかりながら、ゲームの中で体験するあらゆる感情や感覚をありのまま感じ取り認めていくことで、そのゲームから抜け出していく道が見えてくるのです。


ただ、すべてはゲームなのだ、ある意味ではまぼろしなのだ、とわかり始めると、今度は「すべてはゲームなのだ」という思考に執着することで、自分から切り離してしまった感情を感じることを避ける、ということが起こりがちです。

個人としての人生の中でどんな辛いことがあったとしても、それすら目覚めへ導いてくれる道しるべであり、その苦しみすらも目覚めの表現、全体性の一部、光そのものなのです。

個人としての人生の中で辛い体験をしてきた方ほど、その辛いストーリーを一度しっかりと意識にのぼらせ、それにともなう様々な感情に光を当てていく必要があります。

私が「中野真作」と呼ばれてきたストーリーのもっとも深い部分にやっと気づくことができたのは、探求に否応無しに引き込まれてから25年以上もたった4年近く前の腰痛のおかげでした。

続きます。



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中野真作

Author:中野真作
スピリチュアルセラピスト。1997年からヒーリング&カウンセリングルーム「スペースまほろば」主宰。悟り・非二元の視点から人生のあらゆる苦しみを手放すお手伝いをしています。
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