次の文章はホームページの中の
「なーんだそうだったの?~実践ガイド」の続きです。少しまとまったらホームページの方にも掲載する予定です。
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■「なーんだそうだったの?~実践ガイド」(23)
歯が抜ける~死と再生あるいは通過儀礼
この
「なーんだそうだったの?~実践ガイド」、ずいぶん長い間更新がストップしたままになっていました。その間、続きを書こうと思って少し文章を書いたこともあったのですが、なんだかしっくりこない部分があって、発表するには至りませんでした。
でも、最後の文章を書いてから5年近く過ぎた今年(2010年)、私に起こった様々な体験は、その「しっくりこない」感じがどこからやってきていたのかを無理矢理見せつけてくれるような強烈な体験でした。それらの体験を通過することで、22年前に始まった私の内的探求のプロセスはまったく新しい段階に入ったような感じがしています。
より深くクリアーになった視点からこれまでの私の体験をあらためて振り返ってみたいと思います。
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少し前から、たぶん昨年(2009年)の後半くらいからでしょうか、なんとなく体調が悪くなることが多いような気がしていました。
「歳もとってきたし仕方ないのかな」と思ったり、「いやいや、部屋でじっとしていることが多すぎるのでもっと身体を動かさないと」と考えてウォーキングや水泳をしたり、「不規則な生活パターンを見直さないといけないかな」と思ったり。
それとは別に、数年前に久しぶりに歯が痛くなって、学生時代以来20年ぶりに歯医者に行きました。いつも歯医者に行っている妻からは「歯が丈夫でいいね」とよく言われていたのですが、もちろん丈夫だということもあると思いますが、何しろ私は歯医者が怖いのです。(^_^;)
20年も歯医者に行っていないと、私の辞書から歯医者という言葉は半分消えていたのですが、さすがに痛くなってくるともうどうしようもなくて、妻も通っている地元では評判のいい歯医者さんに通うようになりました。通い始めてすぐの頃に「右下の親知らずは半分埋もれている上に、かなり状態が悪くなっているから早く抜いたほうがいい」というようなことを言われた記憶があります。
そもそも歯医者が怖い私にとって、そう言われても、歯を抜くなんて恐ろしくて考えられませんでした。(多くの人が若い頃に親知らずを抜いているということもよく知らなかったのです)
9月の中頃だったでしょうか、最初は偏頭痛のような感じだったので、パソコンの使いすぎで少し目が疲れているのかなと思っていたのですが、そのうち顔の右側全体がズキズキするようになってきて、やっと親知らずと関係しているようだと気づきました。
四六時中ズキズキする痛みと熱っぽい感じに襲われるようになって、これはもうどうしようもないと思い歯医者に駆け込むと、「今から抜きましょう」という先生の言葉。
あとから知ったのですが、半分埋もれている親知らずの抜歯は普通の歯医者では出来ない事が多く、大学病院などに紹介されて行うものなのだそうです。でも、その歯医者さんはもともと大学の付属病院で難しい抜歯を多く行っていた経験のある方だったので、本当に助かりました。
さて、夕方、診療の終わる時間が近づいていたので、一旦待合室に出て他の患者さんの治療が一段落するのを待ちます。それからあらためて呼ばれたあと、歯医者のイスの上で、抜いた後に起こる可能性のある症状や、骨を削ると治るまでに時間がかかるので、骨は削らないようにして抜くこと、半分埋もれているので、歯を分割しながら少しずつ抜くので多少時間がかかる、というような説明を受けながら、ここまできたらもう身を任せるしかないなと、覚悟を決めていました。
いつもの歯の治療より念入りに麻酔をして(私にはそう感じられました)、歯茎を切開し、いつもの歯の治療で使っているような道具(キーンという音がする)で歯を分割し、少しずつ親知らずを取り出しているようでした。
そのうちに、最後の根っこの部分がどうしてもうまく抜けないようなので、やはり骨を少し削ります、とのこと。どうするのかと思っていたら、小さなノミと金づちのようなものを使って、それでたたいて少しずつ骨を削り、作業できる範囲を拡げるような感じです。
さすがに骨をたたいて削られると頭にがんがん響きますが、もちろん麻酔が効いているので痛みはありません。
どうも、歯が化膿して骨に癒着していることと、歯の根っこが複数のあらぬ方向へ広がっているので、簡単に抜けないようです。
少し骨を削ってはグリグリと抜こうし、それでも無理なので、また歯を分割しては少し取り出し、また根っこから抜こうとするも抜けないので、さらに骨を叩いて削って抜こうとし、やっぱり無理なのでもう少し分割して取り出し、、、
このサイクルが何回続いたでしょうか。私の記憶では5回前後だったような気もします。神経を痛めることのないよう、合間にレントゲンを(たしか)3回とって、状況を確認しながら慎重に進めて下さいました。
麻酔が効いているはずなのに鋭い痛みがやってくることがあり、どうも歯の根っこの部分が痛んでいるようなので、そんなときは根の部分に麻酔薬を直接たらしてくれていたような気もします。
そのうちに、もう意識もうろうとしてきて、先生から「気をしっかり持って下さいね」と言われたり、スタッフが大勢周囲に集まってくれて、手を握ってくれたりしていました。
まさかこんなことになるとは思っていなかった私ですが、心のどこかで起こるべき事が起こっているのだ、という感覚がありました。この数年間感じていた微妙な違和感を超えていくような感じ、これは私にとって一つの通過儀礼なんだ、という感覚がしてきたのです。
すると、不思議なことに、現実の世界では骨を削られたり、歯をぐいぐい引っ張られたりして意識もうろうとしているのに、心の一番深い部分では何かがとても静まって、クリアーな感じがしてきました。
歯医者のイスの上で意識もうろうとしている私を少し離れたところから見ているもう一人の自分の意識(大きな自分)にアイデンティティが移行したような感覚でしょうか。
日常の生活の中でも感じることが増えていた感覚ではありましたが、その感覚をこんな状態の中で、それも強烈に感じるのは不思議な体験でした。
やっと最後の根っこが抜けた瞬間、私を取り囲んでいたスタッフの誰かが「生まれた!」と言ってくれました。その言葉を聞いた瞬間、私は号泣してしまいました。あらためて診療室に入って実際に抜歯が始まってから2時間も過ぎていました。
今思えば、そのときの私の姿は出産のときの様子に似ていたのかもしれません。途中で何度も強い痛みを感じたり、自然に呼吸が荒くなったり、何しろ私自身が再び生まれ変わったような感じがしていましたから。
一人で車を運転して帰れるかを心配して下さったのですが、なんとか無事に家まで帰ることができました。とはいえ、抜いた部分は麻酔が効いているとはいえズキズキしていましたから、そのうち麻酔が切れれば、痛みで朝まで眠れずに七転八倒するのではないかと心配していました。
この「なーんだそうだったの?~実践ガイド」の続きは
大きくなりすぎた違和感へ
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