心の癒しと意識の目覚めのために

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二重の目覚め、二重の苦しみ

■2017年5月28日(日) 癒しと目覚めのお話会 in名古屋
■2017年7月1日(土)〜3日(月)癒しと目覚めのお話会 皆生温泉リトリート ※早割期限(5月2日)が近づいています。
次の文章はホームページの中の「なーんだそうだったの?~実践ガイド」の続きです。少しまとまったらホームページの方にも掲載する予定です。

この一つ前は「「今ここ」にとどまる」をご覧下さい。

今回の新しいシリーズを最初から読んでみたい方は「歯が抜ける~死と再生あるいは通過儀礼」をご覧下さい。

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■「なーんだそうだったの?~実践ガイド」(28)
 二重の目覚め、二重の苦しみ

これまでの目覚めのプロセスでは、人生の前半は家族を持ち、経済的な基盤を作り、社会の中である程度の居場所を確保してから、つまりこの世的な人生の目的をある程度果たしてから、どうも人生にはそれだけではない何かがありそうだ、ということを感じ始め、それをきっかけに目覚めや覚醒といった人生のもう一つの側面へと探求を進めていく、というパターンが多かったのではないでしょうか。

ところが、世界全体の意識進化のプロセスが進んでいるせいなのか、その段階を経ずして、ずいぶん若い時期に最初の目覚めの体験をする人が増えているような感じがします。

この視点から自分の体験を振り返ってみると、22年前のあのときに、通常の意味での自我の目覚めと大いなる自分への目覚めが同時に始まったような感じがするのです。

これまで一般的だった目覚めのプロセスのモデルであれば、大いなる存在(存在のもう一つの次元)に気づき始めたときには、ある程度しっかりした(小さな)自分という感覚をきちんと持っていて、社会的にも居場所を持っていますから、その「この世的な」価値への執着を手放すという苦しさはあったとしても、大いなるものを認識する主体、認識する枠組みはしっかりと存在しているのではないかと思うのです。

ところが、若い時期にこのプロセスが始まると、小さな自分を確立するプロセスと大きな自分を認識するプロセス(小さな自分へのしがみつきを手放していくプロセス)を同時進行で行っていかなければいけない、という二重の困難があるのではないでしょうか。

私に最初の目覚めの体験が起こった後、生きることの苦しさ自体はまだまだ続いていくのですが、心のどこかで「自分は助かった」という感覚が生まれました。そして、これはうまく表現しにくいのですが、心の中、というよりも頭の真ん中あたりに、生まれて初めて「私」という小さな感覚が生まれていることも感じました。それまで自分は身体としては生きていながらまったく生きていなかったのだ、という感じがありました。

そして不思議なことに、それと同時に「自分はいない」という感覚、自分はこれで死んだのだ、という感覚もあったのです。自分はこれでもう死んでしまって、これから先の人生は余生なんだ、と思ったのです。

今文章にしてみるとすごい矛盾ですね。でも、これは確かにそのとき感じていたことそのままです。言葉ではこれ以上うまく表現することができません。

とはいえ、その目覚めの体験が現実の生活にすぐに直接プラスの影響を与えたというわけでもなく、目覚めの体験のおかげでこの世的な世界(合意的現実の世界)からいきなり自由になったわけではないのです。自由になる前に、まず一度それにしばられる体験が必要だったのです!

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当時の私は、その最初の体験によって得られた洞察を活かそうにも、多少のアルバイトやサークル活動は行ってはいたものの、ほとんど引きこもりに近い学生生活を送っていて、自分の力で現実生活を切り開いていくようなパワーもなく、親からはよい学校に行ってよい会社に入ることが幸せだ、というメッセージをずっと受け取っていたため、特に深く考えることもなくゼミの先生から紹介された会社に就職しました。

なんとなく違和感を感じつつ、ここはずっといる場所ではないなと思いながら、会社を辞めてどうするというヴィジョンもなく、セラピーを受けたり、付き合い始めていた現在の妻と会ったりする時間だけが、本当の自分に触れて、生きるエネルギーをかろうじて引き出してくれる貴重な時間になっていたように思います。

そして会社を辞めてから10年以上が過ぎた頃から、最近このシリーズでも書いているような、本当の意味で自我が死ぬ体験、小さな自分から大きな自分へとアイデンティティが移行していく体験が起こり始めたのです。

結局のところ、「小さな自分」は思考の作り出したまぼろしのようなものであることに気づくために、一度「小さな自分」を仮に作らなければいけなかったわけです。それが、多くの人にとっては「社会的な地位のある私」であったり「お金持ちの私」であったりするのと同じように、すでにそういうことに興味を持てなくなっていた私の場合は「スピリチュアルな探求をしている私」だったわけです。

その上、「スピリチュアルな探求をしている私」は他の人よりもレベルが高いのだ、というような優越感を感じることで、心の奥の劣等感、無価値観を無視し、未解決の心理的問題を無意識に閉じ込めてしまう、いわゆる精神物質主義、あるいはスピリチュアルな抜け道に入る(spiritual bypassing)ような状態になっていました。それをやっと実感できたのは、この数年のことなのですが。

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自分が直感的に知った世界と目に見える現実の世界のギャップに苦しんでいる方が多くいるようです。どちらがより真実であるとか、どちらがより大切であるということはありません。より意識が深まってくれば、どちらも大切だし、どちらもそれほど意味はないということがわかってきます。

もし今あなたがそういったギャップに苦しんでいるのなら、目に見える現実だけがすべてではない、ということをわかっていながら、この世的な価値観はゲームのルールだと割り切って学んでいく必要があるでしょう。ルールはこの目に見える世界(合意的現実の世界)を維持していく上ではとても大切なものです。それに従うのか、反抗するのかはどちらでもいいのですが、従うにしても反抗するにしても、それはゲームのルールなのだとわかった上でできるだけ意識的にすることが大切です。

そうしていくうちに、このゲームの世界の中の一つの駒である「小さな自分」の感覚がしっかりしてくると、その小さな自分を離れて見るもう一つ上の視点が育つ可能性が生まれてきます。その小さな自分を通して大きな自分を表現できるようになってくるのです。大きな自分(目覚めた意識、内なる神、仏性、ワンネス、、、)がこの世界に流れ出す出口の役割を果たせるようになってきます。

もう少し別の表現をすれば、すべては私だとわかりながら仮の他者と関わること、
私がやっているのではないとわかりながら私として世界に関わること、そんな感覚でしょうか。

私と同じような目覚めのプロセスを体験している方がおられたら、それはおかしなことではなくて、今まさに必要なプロセスを体験しているのだ、ということをお伝えしたいと思います。今体験していることはすべて、目覚めへと、今ここへと向かっている貴重なプロセスの一部なのです。

(この「なーんだそうだったの?~実践ガイド」はさらに続く予定ですが、最近はあまりカテゴリーを意識せずに書いているので、このブログ内の他の文章も読んでみて下さい。)

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「今ここ」にとどまる

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■「なーんだそうだったの?~実践ガイド」(27)
 「今ここ」にとどまる

最近よく思うのは、私のこの目覚めへの旅は22年前の最初の体験のときに始まったと同時に終わっていた、ということです。最初の体験のときにすでにすべてわかっていた。いやいや、そうではなくて、その体験のずーっと前、歴史が始まる前からわかっていた、というような不思議な感覚もあります。

私はあまりきちんと座って行う瞑想は行ってこなかったのですが、初期の頃は自分自身がブレスワークを中心としたセラピーを受けることで、のちにはセラピストとしてクライアントの方と向き合う中で、自分自身の内面と向き合う作業を続けてきました。このプロセスが私にとっての瞑想になっていたのかもしれません。その結果、この数年間に瞑想的な状態が非常に深まっている感じがしています。

数年前のある日の夜、布団に横になっていると、心の中がしーんと静まって、まったく思考が流れていない時間がずいぶん長く続いていることに気づきました。それまで意識して思考のすき間を感じようとすれば、短い時間であれば感じることはあった感覚が自然に永続していることに初めて気づいたのです。

それまでは、夜寝ようとして布団に入っても、1時間、場合によっては2時間以上も頭の中にあれやこれやの思考が流れ続けてなかなか眠れなかったのが、とても寝付きがよくなってきました。よく眠れるようになれば、当然身体の調子もよくなってきます。エネルギーの流れがよくなってきて、以前ほど疲れを感じなくなってきました。

今でも無意識の思考にとらわれて、「今ここ」から離れている自分に気づくことはありますが、その頻度は減ってきて、気づくことですぐに「今ここ」の大きな自分の意識に戻るれるようになってきました。

ポイントは、この思考のない状態に意識的にとどまることで、それが瞑想と呼ばれる行為なのです。そうすることで、小さな自分へのしがみつきが少しずつ緩んで、アイデンティティが大きな自分へ自然に拡大していきます。

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このプロセスについて書いたのは、この思考のない状態の体験はは22年前の最初の体験のあとにもまったく同じように起こっていたことを思い出したからです。

からっぽの空間の中で私の思考や他の人の思考や世界のあらゆるものが流れていくような不思議な感覚を感じていたのですが、そのときの私はその感覚を何かとても不安な感覚として感じていたように思います。

もし、そのときに誰かが「安心して、その感覚にただとどまっていればいいんだよ」ということを教えてくれていたら、私のその後のプロセスはもっと順調に進んだのでしょうか?

いやいや、でも、そうなったことはすべてそうなるようになっていたわけですから、私のこれまでの体験はどれも必要なものだったのでしょう。

トランスパーソナル心理学などでは、自我をしっかりと確立してから、次にそれを越えていく(小さな自分だけを自分だと考えている思い込みを手放して、大きな自分へとアイデンティティを拡大していく)ことが大切であることが強調されます。(最近、この考えに対する反論もあることを知りました。私の体験を理解するうえで役立つ可能性もありそうなので、もう少し学ぶことができたら、またいつか取り上げたいと思っています)

私の自我はあまりにも貧弱だったので、自分の本性である広大な空間(目覚めた意識、今ここ)をそのまま感じとってしまっては、その中に溺れてしまったのではないでしょうか。あちらの世界に行ってしまって、こちらの世界(日常的な意識状態で認識される世界、合意的現実"consensus Reality"の世界)とのつながりを失ってしまい、日常生活がまともにできなくなってしまったのではないかと思います。

そのために、大きな自分とのつながりは一時的に封印して、大きな自分を認識するための足場となる仮の自我(小さな自分)を先に育てる必要があったように思います。足場がないと建物を建てられないような感じ?いやいや、このたとえを使うのであれば、先に足場を作らないと建物を壊せない、と言ったほうがイメージが近いかもしれません。

足場を作って建物を建てているつもりでいても、その建物が出来たと思って足場を外してみれば、そこにあったと思いこんでいた建物は実体のないまぼろしのようなものだったことに気づくのです。

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ただ、これまで一般的な目覚めのプロセスとされていたものは、若い頃は大きな自分、覚醒、悟りなどにはまったく関心を持たずに、いわゆる世俗的な目的(お金、名誉、地位、人間関係、、)などを追い求め、それらを求める欲求をある程度満たした上で、それでも何か満たされない感覚がある、人生には何かもっと違うものがある、と感じ始めて、探求の道に進む、という形が多かったのではないでしょうか。

ところが、セラピーの中で出会う多くの方のお話をうかがっていると、最近は私の例のように、ずいぶん若い頃、自我がまだしっかりと確立されていないときに最初の目覚めの体験をする人が増えているような感じがします。

次回はそのあたりのことについて書いてみましょう。

この「なーんだそうだったの?~実践ガイド」の続きは続きは二重の目覚め、二重の苦しみ


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最後の壁

■2017年5月28日(日) 癒しと目覚めのお話会 in名古屋
■2017年7月1日(土)〜3日(月)癒しと目覚めのお話会 皆生温泉リトリート ※早割期限(5月2日)が近づいています。
次の文章はホームページの中の「なーんだそうだったの?~実践ガイド」の続きです。少しまとまったらホームページの方にも掲載する予定です。

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■「なーんだそうだったの?~実践ガイド」(26)
 最後の壁

本当の目覚めのプロセス(=全体性に気づいていく本当の癒しのプロセス)というのは「私が目覚める」のではなくて、「私」という幻想から目覚めていくことです。

もう少しわかりやすい表現をすれば、私という個人が目覚めを体験していくのではなくて、大きな私が「小さな私」という夢を見ていた状態から覚めていくのです。最近私がよく使う表現で言うと、小さな私から大きな私へ自分という感覚が広がっていくような感覚です。

そうなって初めて、親、社会、環境などによって条件づけられてきた自分の在り方を超えて、本当の自分の在り方、本当の性格とでも言えるものが自然に流れ出してきます。

その感覚に気づき始めると、自分を小さな枠の中に閉じ込めていたさまざまな思い込みから解放され、自分というものがこれまで自分で想像していたどんなものとも違うのだ、ということが見えてきます。人生の苦しみが小さくなり、真の自由の感覚が広がってきます。ありのままでいい、という言葉の本当の意味がわかってきます。

しかし、その感覚を実感するためには小さな私(エゴ)が本当の自分である、という思い込みを手放していく必要があります。一般的に言われる「エゴの死」のプロセス、「死と再生」のプロセスです。


私は22年前の最初の体験のときから、この「死と再生のプロセス」を何度も繰り返してきていた、と感じていました。実際にそうだったのだと思うのですが、そこにはまだ「小さな私」が死を恐れてしっかりとしがみついていたような気がするのです。

例えば、1991年に8年も過ごした大学を離れて就職したとき、1996年にその後の生活のあてもないのに会社を辞めたとき、1998年に新大阪に引っ越したとき、そして2002年に境港に引っ越したとき。当時はそのときそのときで悩みながら不安を感じながら新しい環境に移行していき、自分の中で何かが死んで生まれ変わっていく、という感覚を確かに感じていたのですが、それを体験している中心としての「小さな私」自身は揺らぐ事なく存在し続けていたようです。

今振り返ってみると、それが本当に緩み始めたのは2006年の父の死の少し前からだったような感じがします。

父が亡くなる2ヶ月前、最後に父に会ったあと、父の死が近い事を実感して私の中で何かが崩れていくような不思議な感覚がありました。

その前後に、自分にとって大切な物=自分のアイデンティティの一部となっている物が壊れていくことが続きました。

2006年の春にはパソコンのハードディスクが壊れました。このときは少し前から様子がおかしくなっていたので、ほとんどのデータはバックアップできましたが、数日分の送受信メールが失われました。

同じ年の秋には携帯電話(PHS)が突然故障し、かなり焦りました。というのも、パソコンと同じように電話はセラピーのお客様との大切な連絡手段なので、それが使えなくなることで、自分の仕事=セラピストとしてのアイデンティティが揺らぐような感じがあったのです。(この電話の故障は、パワースポットとしても有名な島根県の某神社に行っていたときに突然起こったので、エネルギー的にも何か意味がありそうな気がします)

その後の数年間には、身体のそこかしこに小さな不調を感じることが続き、後で考えればただ疲れがたまっていただけで大した事ではなかったと思うのに、とても不安になって病院にいくことが何度かありました。実際に検査をしてもらっても特に異常はなく、しばらく休んでいれば治っていったのですが、そのときには最悪の状況を想像してしまい、そのことでますます不安になっていくような状態でした。


それからは、セラピーの仕事を続けていても、何かがしっくりこない感じが自分の深い部分にあることを意識し始めました。

とても忙しくて大変なときには、こんな状態でこれからも続けていけるのだろうか、心と身体が耐えられるのだろうか、と不安になり、暇なときが続くと、こんな状態で生活していけるのだろうか、と不安になり、、、。どちらにしても不安で心配なのですね。(^_^)

ここまでくると、問題は外的な環境がどうなのかということではなくて、ただ内的な問題なのだ、ということを認めざるをえなくなってしまいます。

でも、私のエゴ(小さな私)は「これまで自分は何度も目覚めの体験をしてきて、いろんな勉強もしてきたし、もう悟っているのだ、内的な問題なんかもうないはずだ」とささやくわけです。問題はそのエゴ(小さな自分)を自分だと思い込んでいること自体なのに!なんとややこしいことでしょう。(^_^)


父の死の前後あたりから本格的に始まったエゴの死のプロセスは親知らず抜歯事件をきっかけに最後の壁を突破したのかもしれません。抜歯のあとの心理的な動揺がおさまってきた今、自分が大きな力に守られていることを実感として感じられるようになってきました。いや、自分というのは、その大きな力そのもののことなのだ、という感じでしょうか。

これまで私が自分で頑張ってやってきたように思っていたことも、すべて私を超えた大きな力によって自然になされてきたことだったのです。すべては大きな自然の一部として、ただ起こっている。そこにそれを起こしている個別の存在(私やあなた)はいないのです。

もちろん、見かけ上、あなたはあなただし、私は私としてこの世界の中で機能し続けています。ただ、これまで自分の考え、自分の感情、自分の意思だと思っていたものが、大きな自分がこの心と身体を通して何かを表現しようとしているだけなのだ、ということがわかってきたような感覚です。

「自分」というものにとらわれずに、自分(と思っているこの心と身体)を通して自然に流れ出してくるエネルギーに身をまかせることができるようになってくるのです。そこには不安や心配や後悔や罪悪感がなくなってきます。

「エゴの死」という言い方をしますが、別に私がなくなってしまうわけではなくて、「私」という感覚が、頑張って何かを行う主体という存在から、「大きな私」のエネルギーを宇宙に表現するための通り道になっていくのです。

もちろん、この目覚めのプロセスを体験することで私が完全な人間になったわけではありません。エゴ(小さな私)としての私は傷ついた子ども時代を体験し、それを癒そうとして今でも苦闘している小さな存在です。でも、そんな過去の体験を自分のアイデンティティにする必要はない、ということに気づいてきたのです。


私は最初の体験から20年以上もかけてここまで旅を続けてきたわけですが、宇宙全体のエネルギーが進化し高まっている現在、特に真摯な探求を続けている多くの人にとってはそれほどの年月は必要ないのではないかと思っています。

そのために私に出来る事として、セラピーを行うことの他に、自分で継続的にやっていけるような瞑想的なエクササイズを、セラピーを受けて下さる方やグループに参加して下さる方にもっときちんと指導していくことも必要なのではないかと思い始めているところです。


次回は、この探求の旅がこれほど長くなった私固有の問題点について書いてみようと思っています。

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死の恐怖を超えて

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■「なーんだそうだったの?~実践ガイド」(25)
 死の恐怖を超えて

親知らずの抜歯中と、その夜から翌朝にかけて体験した意識のクリアーなスペースは、私の内面にまだ浄化されないまま残っていたエネルギーをやさしく受け止めてくれる受容的なフィールドになってくれたのかもしれません。

抜歯後の傷が少しずつ癒えてくる一方で、内面的にはそれまで体験したことがないほどの動揺を感じていました。まるで、それまでは傷つき化膿した親知らずによって蓋をされていたエネルギーが、その重い蓋が取り去られたことで一気に噴出してきたかのようでした。

人間関係の中でそれまで意識したことのないほどの激しい怒りを感じ、関係が難しくなってしまうことがありました。自分の内面にまだ浄化されていない怒りがあることは自覚はしていたのですが、それが自分のコントロールを超えてあふれて来たような感じがしました。

いつも周囲の人には、感情をありのまま感じるように、とアドバイスしている私ですが、そのアドバイスも忘れてしまいそうなエネルギーに圧倒されていました。

自分の内面からわきあがってくる膨大なエネルギーにしばらく振り回されたあと、やっと、いつものアドバイスを自分に適用するときなんだ、ということに気づきました。いつも自分が言っていることなのに、その渦中にいるとそのことはすっかり忘れてしまうのですね。

その激しい怒りのエネルギーに意識を向けて、できるだけ判断しないようにしながら体全体で感じとっていくと、その激しいエネルギーが何かを燃やしていくような感覚になってきました。怒りのエネルギーがそれ自身を燃やして浄化していくような感じでしょうか。「意識の光を当てると、苦しみが意識そのものに変わっていく」という言葉の意味を実感しました。


怒りが意識を向けられることで小さくなってくると、これも過去にあまり感じたことのないような不安感と死の恐怖がやってきました。

自分がこの世界に一人ぼっちでいるような感覚。将来に対する漠然とした不安感。この身体はいつかなくなってしまうのだ、という恐怖感。妻が横に寝ているのに、夜中に一人ぼっちの感覚が急に大きくなってきて、ちょっとやばいんじゃないのか、このままおかしくなってしまうのではないか、という不安を感じこともありました。

いったいこれまでの自分の人生はなんだったのか。若い頃はいつも苦しみの中にいて真っ暗な青春時代を過ごし、大人になっても、いわゆる人並みの職業を続けることができず、子どもを育てることもしてこなかった。そんな自分がなさけないような寂しいような、そしてこれから先年老いていくことへの不安と恐れ、、、。なんというか、生きることに付随している根源的な怖れのようなものが一気にわきだしてきたような感覚でした。

これまで、20代の一番辛かった頃も含めて、本気で死にたいと考えたことはありませんでした。(衝動的に自殺してしまうのではないか、と不安になったことはありますが。)なのにこのときには、もう死んでしまいたい、という絶望感のようなものが自然と心を占めていることに気づいて、自分でも驚いたりしました。

特に印象に残っていることが一つあります。夜中にものすごく不安になって、それを感じようとしているときに、死の恐怖の固まりのような膨大がエネルギーが身体を足の先から頭の方に向かって駆け上がっていき、頭の先から抜けたような感覚が起こりました。これは不安や恐怖の形をとっていたけれど、ある種のスピリチュアルなエネルギーのようなもの(クンダリーニ?)が流れていったのではないかという気もしています。


一番辛かった時期は1週間にも満たなかったと思うのですが、その後さらに1、2週間ほどはお腹のあたりになんともいえない不安感があって落ち着かない感覚がありました。

この状態から徐々に抜け出していく中で、大阪でグループをやることやこの文章(なーんだそうだったの?実践ガイド)の続きを書くことなど、それまで長い間アイデアだけでなかなか実行できなかったことをやってみよう、という気分になってきたのです。グループの中で話すことやこの文章を書く事で自分が感じてきたことをこれまで以上に正直に伝えることを始めると、いろんな不安感、特に死に対する恐怖感はなくなってきました。

一般的な意味で、どうせいつかは死ぬのだから自分がやりたいことをもっと自由にやってみよう、という感覚もあったのですが、宇宙が自分にさせたがっていることに対する抵抗をやめていく、という感覚のほうが大きいような感じがします。何かが足りないと感じていた最後の1ピースは宇宙の流れに逆らっていたことから来ていたのだ、ということがはっきりわかってきました。


生きていく上で体験するさまざまな問題や苦しみというのは、突き詰めてみるとたった一つの原因からきています。

それは、大きな自分(宇宙としての自分、神としての自分、仏陀としての自分)を忘れてしまって小さな自分(この心と身体を持って、皮膚の内側だけに閉じ込められていると感じている自分)だけを「自分」だと思い込んでしまうことです。

自分のアイデンティティが小さな自分から大きな自分にシフトしてくると、日常的な意識から見れば解決しようのないような問題にも解決策があることがわかってきます。それは、具体的には、宇宙の流れを感じとり、それに逆らわないようにしていくこと、自然な流れの中に身をゆだねていくこと、宇宙と一つになること、と言ってもいいかもしれません。

痛んだ親知らずで蓋をすることで、そして、死の恐怖を感じないようにすることでぎりぎりまで逆らい続けていた宇宙の流れがいっきに襲いかかってきて、もうこれ以上逆らってはいられないよ!と言われたかのようです。

しかし、今思えば今回のこの親知らず抜歯事件?によって起こった私にとっての内的な大変動は数年前から少しずつ準備されていたような感じがするのです。

この「なーんだそうだったの?~実践ガイド」の続きは最後の壁


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大きくなりすぎた違和感

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■「なーんだそうだったの?~実践ガイド」(24)
 大きくなりすぎた違和感

もともと歯医者が怖くて大嫌いだった私の抜歯初体験は2時間もかかる大手術となり、大学病院で難しい抜歯をずいぶん手がけてきた先生が「これまでで一番時間がかかった」とおっしゃるほどでした。

しかし、その歯医者のイスの上での2時間は、私の精神的な変化のプロセスにとっては非常に意味のある時間だったのではないかと思えるようになってきました。

その夜家に帰ると、妻が驚いた顔で私を迎えてくれました。どうも妻は、歯を抜くというのは「麻酔をして器具で引っ張ればスポンと抜ける」ようなイメージで考えていたらしく、どうしてこんなに遅くなったのかを心配していたらしいのです。


それはともかく、そのときの私の一番の心配は、麻酔が切れたら痛くて寝るどころではなくて、朝まで痛みでのたうち回らなければいけなくなるのではないか、ということでした。家に帰った時点で、すでに患部の周辺はズキズキする感覚がありましたから。

口が開くのはせいぜい1センチくらいなので、みそ汁や牛乳だけの食事をして早々に寝ようと思っていたのですが、まったく予期していなかったこの体験を心の中だけにとどめておくのは難しかったのでしょう。妻にこの2時間の間に何が起こったのかを話し始めると涙があふれてきました。

もう、どこからこれほどの涙が出てくるのか不思議なくらい、話せば話すほど涙が次から次へと止めどなく流れてくるのです。

これまでの内的変化の旅の中でも、理由なく涙が出てくることは周期的に起こっていて、それについてもまた近いうちに詳しく書きたいと思っているのですが、これほど激しく泣き続けたのはそれまであまり記憶にありませんでした。

とはいえ、これも何か大切なことが起こっているのだ、という感覚があったので、もう起こっていることに身をゆだねてしまえ、というような気分でいました。このプロセスが落ち着くまでには1時間以上かかったと思います。

すると不思議なことに痛みはほとんどなくなっていました。心理的な痛み(苦しみ)だけではなく、ズキズキしていた抜歯後の身体的な痛みもほとんど感じなくなっていたのです。


その夜はまったく夢を見ない深い眠りが続いたようで、夜中に痛みで目が覚めることもなく、朝起きると不思議な静寂の中にいることに気がつきました。これまで短い時間であれば体験したことがある深い平安とでも表現したくなるような状態の中にいました。自分の内側深くで何かがまた変化したことを感じました。

もちろん痛み止めの薬が切れると強い痛みが襲ってきますので、薬は欠かせないのですが、顔の右側全体が腫れてお化けみたいになると言われていたのに比べれば実際の腫れはほんのわずかなものでしたし、痛みが辛いということもなく、本当に助かりました。


身体に症状や病気があらわれてくるということは、それまで長い間内面にあった微妙な違和感を無視し続けていた結果です。その違和感を、まだ症状として現れる前の微妙な感覚の段階でしっかり感じ取り、その感覚が表現しているエネルギーの存在を認め、それを通して大いなるものとつながる感覚を感じていけば、症状や病気としてあらわれてくる必要がなくなるわけです。

そう考えてみると、この私の親知らずの問題は、数十年かかってここまではっきりとした形で、そして私にとっては非常に強烈な形で姿を見せてくれるまでに大きなエネルギーになってきたわけですから、なんとまあ長い間無視してきてしまったのかなぁ、という気持ちになります。

しかし、それゆえに、22年前の最初の目覚めの体験以降、いや、それ以前も含めて、いつも心のどこかにあった、何かが足りない、いろんなことがわかってきたけれど何か最後の1ピースが見つからない、というような感覚の原因が、この抜歯体験のあとにはっきりとわかってきたのです。

とはいえ、それは抜歯の翌日に感じた平安を保ったまま、おだやかな理解としてやってきたわけではありません。

これまでの自分自身やセラピーを受けて下さる多くの方の体験を通してわかったことは、何か大きな変化が起こって楽になる体験をすると、それまではまだ受け止めることができなかったもっと大きな課題、深い部分の未解決の問題が浮上してくることがあります。逆に言えば、それを受け止められるだけの心の力がついてきたわけです。

この抜歯体験自体が私にとっては青天の霹靂と言ってもいいくらい、予想だにしていなかった出来事だったのに、そのあとにまさかこんなことが起こるなんて想像もしていませんでした。

この「なーんだそうだったの?~実践ガイド」の続きは死の恐怖を超えて


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■「なーんだそうだったの?~実践ガイド」(23)
 歯が抜ける~死と再生あるいは通過儀礼

この「なーんだそうだったの?~実践ガイド」、ずいぶん長い間更新がストップしたままになっていました。その間、続きを書こうと思って少し文章を書いたこともあったのですが、なんだかしっくりこない部分があって、発表するには至りませんでした。

でも、最後の文章を書いてから5年近く過ぎた今年(2010年)、私に起こった様々な体験は、その「しっくりこない」感じがどこからやってきていたのかを無理矢理見せつけてくれるような強烈な体験でした。それらの体験を通過することで、22年前に始まった私の内的探求のプロセスはまったく新しい段階に入ったような感じがしています。

より深くクリアーになった視点からこれまでの私の体験をあらためて振り返ってみたいと思います。

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少し前から、たぶん昨年(2009年)の後半くらいからでしょうか、なんとなく体調が悪くなることが多いような気がしていました。

「歳もとってきたし仕方ないのかな」と思ったり、「いやいや、部屋でじっとしていることが多すぎるのでもっと身体を動かさないと」と考えてウォーキングや水泳をしたり、「不規則な生活パターンを見直さないといけないかな」と思ったり。

それとは別に、数年前に久しぶりに歯が痛くなって、学生時代以来20年ぶりに歯医者に行きました。いつも歯医者に行っている妻からは「歯が丈夫でいいね」とよく言われていたのですが、もちろん丈夫だということもあると思いますが、何しろ私は歯医者が怖いのです。(^_^;)

20年も歯医者に行っていないと、私の辞書から歯医者という言葉は半分消えていたのですが、さすがに痛くなってくるともうどうしようもなくて、妻も通っている地元では評判のいい歯医者さんに通うようになりました。通い始めてすぐの頃に「右下の親知らずは半分埋もれている上に、かなり状態が悪くなっているから早く抜いたほうがいい」というようなことを言われた記憶があります。

そもそも歯医者が怖い私にとって、そう言われても、歯を抜くなんて恐ろしくて考えられませんでした。(多くの人が若い頃に親知らずを抜いているということもよく知らなかったのです)


9月の中頃だったでしょうか、最初は偏頭痛のような感じだったので、パソコンの使いすぎで少し目が疲れているのかなと思っていたのですが、そのうち顔の右側全体がズキズキするようになってきて、やっと親知らずと関係しているようだと気づきました。

四六時中ズキズキする痛みと熱っぽい感じに襲われるようになって、これはもうどうしようもないと思い歯医者に駆け込むと、「今から抜きましょう」という先生の言葉。

あとから知ったのですが、半分埋もれている親知らずの抜歯は普通の歯医者では出来ない事が多く、大学病院などに紹介されて行うものなのだそうです。でも、その歯医者さんはもともと大学の付属病院で難しい抜歯を多く行っていた経験のある方だったので、本当に助かりました。


さて、夕方、診療の終わる時間が近づいていたので、一旦待合室に出て他の患者さんの治療が一段落するのを待ちます。それからあらためて呼ばれたあと、歯医者のイスの上で、抜いた後に起こる可能性のある症状や、骨を削ると治るまでに時間がかかるので、骨は削らないようにして抜くこと、半分埋もれているので、歯を分割しながら少しずつ抜くので多少時間がかかる、というような説明を受けながら、ここまできたらもう身を任せるしかないなと、覚悟を決めていました。

いつもの歯の治療より念入りに麻酔をして(私にはそう感じられました)、歯茎を切開し、いつもの歯の治療で使っているような道具(キーンという音がする)で歯を分割し、少しずつ親知らずを取り出しているようでした。

そのうちに、最後の根っこの部分がどうしてもうまく抜けないようなので、やはり骨を少し削ります、とのこと。どうするのかと思っていたら、小さなノミと金づちのようなものを使って、それでたたいて少しずつ骨を削り、作業できる範囲を拡げるような感じです。

さすがに骨をたたいて削られると頭にがんがん響きますが、もちろん麻酔が効いているので痛みはありません。

どうも、歯が化膿して骨に癒着していることと、歯の根っこが複数のあらぬ方向へ広がっているので、簡単に抜けないようです。

少し骨を削ってはグリグリと抜こうし、それでも無理なので、また歯を分割しては少し取り出し、また根っこから抜こうとするも抜けないので、さらに骨を叩いて削って抜こうとし、やっぱり無理なのでもう少し分割して取り出し、、、

このサイクルが何回続いたでしょうか。私の記憶では5回前後だったような気もします。神経を痛めることのないよう、合間にレントゲンを(たしか)3回とって、状況を確認しながら慎重に進めて下さいました。

麻酔が効いているはずなのに鋭い痛みがやってくることがあり、どうも歯の根っこの部分が痛んでいるようなので、そんなときは根の部分に麻酔薬を直接たらしてくれていたような気もします。

そのうちに、もう意識もうろうとしてきて、先生から「気をしっかり持って下さいね」と言われたり、スタッフが大勢周囲に集まってくれて、手を握ってくれたりしていました。


まさかこんなことになるとは思っていなかった私ですが、心のどこかで起こるべき事が起こっているのだ、という感覚がありました。この数年間感じていた微妙な違和感を超えていくような感じ、これは私にとって一つの通過儀礼なんだ、という感覚がしてきたのです。

すると、不思議なことに、現実の世界では骨を削られたり、歯をぐいぐい引っ張られたりして意識もうろうとしているのに、心の一番深い部分では何かがとても静まって、クリアーな感じがしてきました。

歯医者のイスの上で意識もうろうとしている私を少し離れたところから見ているもう一人の自分の意識(大きな自分)にアイデンティティが移行したような感覚でしょうか。

日常の生活の中でも感じることが増えていた感覚ではありましたが、その感覚をこんな状態の中で、それも強烈に感じるのは不思議な体験でした。


やっと最後の根っこが抜けた瞬間、私を取り囲んでいたスタッフの誰かが「生まれた!」と言ってくれました。その言葉を聞いた瞬間、私は号泣してしまいました。あらためて診療室に入って実際に抜歯が始まってから2時間も過ぎていました。

今思えば、そのときの私の姿は出産のときの様子に似ていたのかもしれません。途中で何度も強い痛みを感じたり、自然に呼吸が荒くなったり、何しろ私自身が再び生まれ変わったような感じがしていましたから。

一人で車を運転して帰れるかを心配して下さったのですが、なんとか無事に家まで帰ることができました。とはいえ、抜いた部分は麻酔が効いているとはいえズキズキしていましたから、そのうち麻酔が切れれば、痛みで朝まで眠れずに七転八倒するのではないかと心配していました。

この「なーんだそうだったの?~実践ガイド」の続きは大きくなりすぎた違和感


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