心の癒しと意識の目覚めのために

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不可思議な世界

■2017年9月24日(日)癒しと目覚めの連続講座 in新大阪「私がセラピストになった理由」
■2017年10月29日(日)癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート
日曜日(12月2日)のアジャシャンティ勉強会に参加して下さった皆さん、参加はできなかったけれど、いつも興味を持ってブログを読んで下さっている皆さん、ありがとうございました。

今回の勉強会の途中、勉強会やお話会などのグループセッションのときの私はこれまでいつも気負い過ぎていたな、ということにふと気づきました。グループを行うことが自分にとってより自然なことになってきたような感じがした瞬間でした。

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いつもお世話になっているresonanz360のヒロさんが「不可思議さの香り」という記事の中で12月23日のお話会東京1dayミーティングのことを紹介して下さっています。この「不可思議さ」という言葉を読んでいろいろと感じるところがあったので、今日はそのことについて書いてみます。
不可思議さの香り

また、このヒロさんの記事を読んで下さったのだと思うのですが、『アセンション館通信』のpariさんも私のサイトやブログを取り上げて下さっていますので、合わせてご紹介します。
『アセンション館通信』第452号:中野真作さんのサイト

ヒロさん、pariさん、ありがとうございました。

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私が25年前の最初の覚醒体験のときに感じた感覚の一つは、この世界のすべてのものが不思議で不思議でたまらない、という感覚でした。

ここに私がいること、そこにあなたがいること、机があること、イスがあること、花が咲き、水が流れ、風が吹き、色があり、光があり、、、すべてのものがただそこにそうして「在る」ということが、もうとんでもない驚異、信じられない神秘として感じられたのです。

もちろん、これまで何度も書いているように、その感覚を感じられたからといって、すべての問題が解決してすっかり楽になったというわけではありません。どこか深い部分で「これで自分は助かった」という感覚を感じながらも、そこから新たに始まった苦しみもあったのです。それ以前には心の奥に封じ込めていた心理的な問題が、大いなる光を当てられることでやっと解決に向かって動き出したというような感覚でしょうか。

それまで凍り付いてフリーズしていた、一人の人間として成長していくために必要なプロセスが、やっと溶け出して進行し始めたかのようでした。神の領域をかいま見ることができたおかげで、やっと人間の領域の問題に取り組むスペースができた、とも言えるでしょう。

そのプロセスの中で、いろんな新しい人たちと出会ったり、会社勤めをしたり、会社を辞めたり、またまったく違ったエネルギーの人たちと出会ったり、というさまざまことがありました。そうやって人間的な作業にエネルギーを向けているときには、世界の不思議さのことは表面的には忘れてしまっているときもあったように思います。

でも、今ふりかえると、そういった日常の生活の波にもまれているときにも、ふとした瞬間に世界の神秘が意識の表面に上ってくる瞬間があったのを思い出します。

今でもとても印象深く思い出すのは、5年間のサラリーマン時代の後半、東京で一人暮らしをしていた頃のことです。

会社が終わって銀座の繁華街をぼんやりと歩いていたとき、ビルとビルの間の低い空に、今まさに上ってきたばかりの大きな満月がぽっかりと浮かんでいました。大勢の人ごみのなかで、自分だけが宇宙の大きなエネルギーと繋がっているかのような感覚を感じ、先の見えない不安や一人暮らしの寂しさも忘れ、ただぼうぜんと月を眺めていました。

少し前のブログの記事(「宇宙から地球を見る」)にも書きましたが、数年前から宇宙のことに興味を引かれることが増えています。この地球を包み込んでいる無限に広い宇宙空間の存在に意識を向けるだけで、今この瞬間にある神秘を感じることができるかもしれません。

そして、もちろん、本当はそんなことをしなくても、世界の神秘はあなたのまわりにいつも存在しています。いやいや、あなたが神秘そのものなのです。

日常の何気ない瞬間にフッと感じる不思議な感覚。「あれ?」と思うような微妙な感覚を、単なる気のせいだと無視しないようにして、よく味わってみるようにして下さい。その体験そのものが悟りではないけれど、今あなたが「これが世界だ」と思い込んでしまっている思い込みを緩めていくきっかけになると思います。

そうなってくると、今度は神秘の世界にばかり重きをおいてしまい、この身体と心を通して行っている日常生活がおろそかになってくる可能性もあります。私もそういった時期があったような気がしますし、目覚めのプロセスの中ではほとんどの人が通過する段階なのかもしれません。

しかし、やがてその段階すら通過して、すべてのことは日常の当たり前のことであると"同時に"神秘であること。その神秘そのものが日常の当たり前のこととして表現されていること、がわかってきます。(色即是空空即是色)

神秘と日常の間に区別はなく、ただ一つのエネルギーだけがあることが理解されます。

ただ「それ」だけがあるのです。

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最後まで読んで下さってありがとうございます。覚醒、悟り、真の癒しのプロセスについてのご相談はスカイプ・電話カウンセリングをご利用下さい。新大阪と境港ではブレスワークヒプノセラピーなどの対面セッションも行っています。詳しくは「スペースまほろば」もご覧下さい。お問い合わせはshinsaku@mahoroba.ne.jp中野までお願い致します。
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[ 2012/12/05 22:10 ] 気づき(〜2012/12) | TB(0) | CM(0)

歩く瞑想と半眼(はんがん)

■2017年9月24日(日)癒しと目覚めの連続講座 in新大阪「私がセラピストになった理由」
■2017年10月29日(日)癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート
歩きながら瞑想するのが好きです。

とは言いながら、数年前までは本当の意味では瞑想できていなかったのではないかと思います。それが、最近やっと、これが「歩く瞑想」という言葉の本当の意味なのだな、という感覚がわかりました。もっとも、これは歩く瞑想だけではなくて、瞑想全体に当てはまることかもしれませんが。

昔、歩く瞑想に関する本を読んでいたときに、半眼になって歩く、というようなことを読んだ記憶があります。そのときは、ただ斜め前方の地面をぼんやり見て歩けばいいのかな、というふうにしか理解できていませんでした。

ところが、数年前くらいからときどき、外を歩いているとき、まわりの世界を見ていながら、同時に自分の内側にもしっかりと意識を保っている感覚が自然に起こってくるようになりました。そのときに「あ、これが半眼という言葉で表現されていることなのだな」と直感的にわかったのです。

でも、最初の頃は、頑張って意識していても、その感覚はすぐになくなり、周囲のいろんな出来事が気になってきていました。

怖そうな人、ちょっと変わった人、きれいな女性、元気な子供、、、もういろんなことが気になって、そのたびにマインドがフル回転し、目に入ってくるあらゆることをよいとか悪いとか無意識のうちに判断してしまっていました。

でも今思えば、そうして気になること、気になる人というのは、自分の中のまだ目覚めていない部分、まだ意識の光が当たっていない部分を見せてくれていただけなのですね。

この数年の間にいろんな体験が起こり、まだ残っていた心の痛み、エックハルトトールの言うペインボディに光が当たっていくにつれ、外を歩いているときに外界の出来事に注意が奪われ、マインドが騒々しくなることが少なくなってきました。すると、歩いていても、身体の中に自分がしっかりいるという感覚が努力することなくやってくるようになったのです。

こうして自分の内側に意識を保ったまま街を歩いていると、自分の内側と外側の境界がなくなり、一つのエネルギーの動きだけがある、ただそれだけがある、というもっとも深いリアリティが自然に思い出されます。

半眼という言葉は、私が想像するに、視線を少し下にずらすことであまり外界の情報が視覚から入ってこないようにして、内面に意識を向けやすくすることを意図しているのだと思います。でも、外から入ってくる情報に対するこだわりがなくなってくれば、必ずしも外界の情報を遮断しようとしなくても、何を見ても、それはただ光のたわむれにしかすぎない、という感じがしてきます。

これは、思考は思考にしかすぎない、という感覚と似ています。

そして、この半眼の感覚はいろんな言葉で表現されているものと同じだと気づきました。例えば、

 身体を感じる
 インナーボディーを意識する
 意識そのものを意識する
 気づきそのものに気づく
 沈黙を意識する
 頭の斜め後ろから自分を見ているのを意識する

など、といった表現は「半眼になる」ということと本質的には同じことを意味しています。大いなる自分、存在そのものとしての自分を意識しながら、同時に身体としてここにいる、というような感覚でしょうか。

この感覚は、目覚めの旅の初期の段階では努力して感じ取る必要があるものかもしれませんが、そのうちにこの感覚のほうが自然になってきます。

そして、面白いことに、目に見える世界へのこだわりがなくなればなくなるほど、目に見える世界により深く自由に関わることができるようになってくるのです。

真の目覚めとは、世界から距離を置くことではなくて、世界とより親密になる感覚のようです。

なんといっても、あなたが世界そのものなのですから。

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12月23日(日・祝)の癒しと目覚めのお話会 東京1dayミーティングはお知らせ開始から1週間で、すでに10名以上の方から参加お申し込みをいただきました。

これまで大阪のグループでは一番参加者が多かったときでも8名だったので、少し緊張もしますが、同時にワクワクする感じもしてきました。

特に、私のブログをいつも読んでいて、いつか東京でグループをやってくれないかと思っていた、とおっしゃる方が何人もおられたのが、とても嬉しかったです。

まだ定員までは余裕がありますので、関東方面の方はぜひこの機会にご参加下さい。

また、今週末12月2日(日)は新大阪でアジャシャンティ勉強会(読書会)です。今回の7章と8章はどちらも短い章ですが、日常生活の中に悟りへの大切なレッスンがあること、目覚めのプロセスの途中で起こる身体的な変化、など大切な内容が多いです。

目覚めのプロセスの中で起こる様々な身体感覚の変化については私自身もいろんな体験をしてきたのでお話できることもたくさんあると思います。

また前回同様、テキストの内容に入る前には、目覚めや悟りについて基本的なことも少しお話したいと思っています。興味をお持ちの方はお気軽にご連絡下さい。

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[ 2012/11/28 22:25 ] 気づき(〜2012/12) | TB(0) | CM(2)

サットサン(satsang)

■2017年9月24日(日)癒しと目覚めの連続講座 in新大阪「私がセラピストになった理由」
■2017年10月29日(日)癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート
一昨日(11月14日)のお話会に参加して下さった皆さん、興味を持ってこのブログを読んで下さっている皆さん、ありがとうございました。

3時間以上かけてきて下さった方や、自転車で来られたすぐ近くの方など、初めての方4名と常連の方4名の計8名の方に参加していただきました。

仕事で疲れていたのにとても深くリラックスできて楽になったとおっしゃる方や、なぜここに来たのか自分でもよくわからなかったが来てよかったとおっしゃる方など、私の意図を超えたさまざまな出来事がこのお話会の空間の中で起こっていたようでした。

これまでのグループに比べると私が話をする時間がずいぶん多くなっていたようで、皆さんがどういうふうに感じておられるか少し心配だったのですが、不思議なことにお話会の時間全体がある種の瞑想会のような、深くリラックスした雰囲気につつまれていたようでした。


このブログではこれまであまり触れていませんが、私は若い頃から人前に出ると緊張してどもってしまい、ほとんど話が出来ない人でした。

ところが、気づきが深まり、自分の内面から出てくるエネルギーの流れに自然にしたがっていくことが出来るようになるにつれ、言い換えれば、すべての行為はただ自然に起こっているだけなのだ、ということが理解されてくるにつれ、以前のように人前で話をするときに緊張して吃るということが減ってきています。

特に、このブログで扱っているようなもっとも深いリアリティについて語ろうとすると、自分が語っているという感覚がとても小さくなって、ただ自分の口から言葉が溢れてくるのを見守っているだけ、という感じがしてくることが多いのです。

こういう状態のときには、私自身も非常に深くリラックスしていて、ある種の瞑想状態に入っているようです。すると、そのエネルギーは参加者の皆さんにも共鳴し合って、皆さんの内面でもさまざまな変化が起こっていくのだと思います。

サットサンあるいはサットサング(Satsang)と呼ばれるような目覚めのエネルギーを分かち合うグループではこういったことが起こるのだな、ということがより実感としてわかってきました。


これまで私の活動は個人セッションが主体で、グループには相対的にあまり力を入れてこなかったのですが、今後はもう少しグループを通した心の癒しと真理の伝達にも力を入れていこうという気持ちになっています。

まずは最近中断していた境港でのお話会を再開しようかと思っています。年内には始められると思いますので、日時など決まりましたらまたお知らせ致します。

また、大阪と境港以外でも私の話が聞きたいというご希望があれば検討したいと思いますので、お知らせ下さい。

次回の中野真作の癒しと目覚めのお話会は12月12日(水)19時からです。その前に12月2日(日)14時からはアジャシャンティ勉強会(読書会)があります。テキストを使うという点を除けば水曜日夜のお話会とほぼ同じ感じで進めていきますので、興味をお持ちの方はこちらにもご参加下さい。どちらも新大阪での開催です。

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[ 2012/11/16 15:20 ] 気づき(〜2012/12) | TB(0) | CM(9)

頭の中を流れる音楽

■2017年9月24日(日)癒しと目覚めの連続講座 in新大阪「私がセラピストになった理由」
■2017年10月29日(日)癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート
前々回の記事(何気ない思考に気づく)では、自分を制限するような思考だけでなく、日常生活の中でほとんど気づかずに行っている微妙な思考、例えば、今やっていることを実況中継しているような思考に気づくことについて書きました。

心の中を流れていく思考を、単なる思考にしかすぎない、と気づくことで、思考を超えた大きな空間、大いなる存在を意識することができるようになり、その大いなる存在が本当の自分である、ということを思い出す道が開けてきます。

この前々回の記事を読んでいて、私自身の体験と関連して思い出したことがあるので、補足してみます。

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私はいつの頃からか音楽がないと生きていけない人でした。ウォークマンが一般的になると外出のときにはいつも持ち歩いていたし、10年前くらいからはそれがiPodに変わりました。音楽を聴いていないときにも、何かを考えていないときにはいつも頭の中を音楽が流れていたような気がします。

その音楽も、そのときのお気に入りの曲や、町中やテレビなどで偶然聴いた曲、はたまた、何の意味もない短い音階の繰り返しなど、いろんなパターンがあったように思います。

ところが、思考が少しずつ静まり始め、思考と思考の間の沈黙を意識する時間が増えるようになると、音楽を聴きたいという思いが少しずつなくなってきたのです。

10年前から大阪と境港を往復する生活をするようになってからも、最初の頃は3時間半のバスの中では必ず音楽を聴いていたのですが、今から5、6年前くらいからでしょうか、往復の道中で音楽を聴くことがだんだん少なくなってきました。やがて、私のiPodは外に持ち出されることも充電されることもなくなって、引き出しの中に眠ってしまったのです。

今でもまったく音楽を聴かないというわけではありませんが、聴くときは集中して聴くけれど、ただ漫然とBGMのように流しておくのは耐えられなくなっています。携帯音楽プレーヤーのたぐいも今はまったく持っていないのです。

最初の頃はこういった自分の変化が不思議でもあり、少し寂しくもあったのですが、今はそういうことも思わなくなりました。


以前、四六時中、頭の中を音楽やメロディーが流れていたときには、無意識に思考が流れていたときと同じように、そうすることで「今ここ」を避けていたのです。

もちろん、音楽そのものが悪いわけではありません。素晴らしい音楽が運んでくれるエネルギーにはずいぶん助けられてきましたし、今でもたまにはギターを弾いたりすることもあります。

でも、無意識に頭の中を音楽で埋め尽くしてしまうことは、もっと大切な何かを見失ってしまうことになります。


以前の私は、音楽を聴いてハイになることで、未解決の痛みを感じないようにしていました。音楽が精神安定剤のような役割を果たしていたのですね。

辛いときに音楽がその辛さを和らげてくれるとしたら、それはとてもいいことですが、あなたの準備ができたなら、ヘッドホンを外し、頭の中の音楽も止めて、その奥にあるエネルギーを直接味わってみるのもいいと思います。

最初のうちはさまざまな痛みが浮上してくる可能性がありますが、やがて内なる沈黙というまったく新しい次元が見えてきます。

世界で一番美しい音楽は「沈黙」だと思うのです。

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このブログも記事がかなり増えてきたので、記事の内容別にカテゴリー分けして、過去記事を読みやすくしたいなと思い始めました。最近の記事が「未分類」のままになっているのはそのためです。

しかし、なかなか面倒そうなので、いつできるかはわかりません。(^_^;)

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[ 2012/10/24 22:14 ] 気づき(〜2012/12) | TB(0) | CM(6)

エネルギーが変わるとき

■2017年9月24日(日)癒しと目覚めの連続講座 in新大阪「私がセラピストになった理由」
■2017年10月29日(日)癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート
またまた遅ればせながら、ですが、水曜日(10月17日)のお話会に参加して下さった皆様、ありがとうございました。今回は初めての方が2名参加して下さいました。また少しずつ私を通して発せられるエネルギーが変わってきているような気がしています。

不思議なことに、こんなときには個人セッションも初めての方からのご予約や問い合わせが増えてきたりします。すべては一つにつながっているのですね。

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先日ツイッターのつぶやきでも少し書きましたが、最近さらに気づきが深まってくる感覚があって、何かが終わっていくような、何かから抜け出していくような感じがしています。

それと同時に、もっと自分の言葉で直接話をする機会を増やしてみたい感じがしてきました。17日のお話会でも、以前より私が話す時間を意識的に増やしてみたのですが、自分の中でとてもしっくりくる感覚があったので、来月からお話会は「中野真作の癒しと目覚めのお話会」(仮)のようなタイトルに変えようかな、と思っているところです。

基本的にはこれまでと同じスタイルですが、私自身の言葉で話をする時間を少し増やし、それに加えて、質疑応答や参加者どうしのフリートーク、瞑想の時間なども取っていく、という形にしようかと思っています。次回のお話会は11月14日(水)19時からです。

また、日曜日のアジャシャンティ勉強会でも、私の言葉でお伝えする時間を増やしていくつもりです。

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なお、来月11月4日(日)14時からのアジャシャンティ勉強会には、東京でエックハルトトールの勉強会を行っている三森真人さんが参加して下さる予定です。どんなエネルギーの相互作用が起こるか、とても楽しみです。

また、翌日11月5日(月)には大阪で三森さん主催の勉強会も行われるようです。興味をお持ちの方は三森さんのブログをご覧下さい。

今この文章を書いていて初めて気づいたのですが、三森さんのお名前「真人」さんは私の名前「真作」となんだか似ていますね。どんなご縁があるのでしょうか。(^_^)

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次の文章も読んでみて下さい。私が過去のスペースまほろばの勉強会の中で感じたことを書いています。

沈黙の伝達〜エックハルトトール勉強会で感じたこと (2012/06/11)
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-166.html

目覚めのエネルギーの循環(エックハルトトール勉強会最終回で感じたこと) (2012/08/07)
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-173.html


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[ 2012/10/20 17:59 ] 気づき(〜2012/12) | TB(0) | CM(2)

何気ない思考に気づく

■2017年9月24日(日)癒しと目覚めの連続講座 in新大阪「私がセラピストになった理由」
■2017年10月29日(日)癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート
本当のあなたは、今あなたが考えている思考でもなく、今あなたがそれを通してこの文章を読んでいるその目、つまり、その身体でもなく、それらを包み込むもっと大きな存在です。そのことに気づくためは思考に気づくことが大切だ、ということがよく言われます。

私たちは思考によって自分自身を制限し、広大な自分という感覚を小さな枠の中に閉じ込めてしまい、自分で自分を苦しめています。

自分を苦しめるような思考が心に浮かんできたときに、それが単なる思考、単に心の中を流れているエネルギーの流れに過ぎないことに気づく、ということは、自分と世界の真実に気づいていくための大切なステップになります。

関連記事 自分に関する思い込みを手放すエクササイズ 苦しみの原因

でも、思考に気づく、ということの大切さは、それだけではありません。自分を苦しめるような思考に気づけるようになってきたら、もう少し微妙な思考に意識を向けるようにしてみましょう。

例えば、道を歩いているときに目に入ってくるいろんなものをしらないうちに、よい、悪い、と判断していないでしょうか。そうしている自分に気づいたら、そうやって判断していること自体を悪いことだと考えたりしないようにして、ただ判断しているということに気づいておきましょう。その微妙な判断の思考が自分を制限して苦しめている、ということをただ意識しておきます。


そして、さらに微妙な思考があります。

何かをやっているときに、そのときやっていることを無意識に心の中で実況中継していないでしょうか。「ああやって、こうやって、こうすれば、、、、」というように。そこに価値判断がまったく入っていなかったとしても、その思考の流れと一体化しているとき、あなたは今ここを微妙に避けています。ありのままを微妙に避けています。

何の思考もなく、何も考えない状態で、ただ身体を動かす、という状態があるのです。

車を運転しているときや、散歩やジョギングをしているときなどに、誰もがこの感覚を感じたことがあるはずです。それと同じ感覚で、日常生活のあらゆることを行うこともできる、ということを意識してみて下さい。


この感覚を実感できるようになると、さらに大切なことがわかってきます。

どんな行為も、どんな思考も、自分が行っている、自分が考えているのではなく、ただ身体が動いている、ただ考えが流れているだけなのです。何も考えずに身体を動かせるのと同じように、何も考えずに思考できるのです!言い換えれば、自分が考えることなく、思考が流れていくのを見ていることができるわけです。

すると、実は、どんな思考があるのかが問題なのではなく、どんなことを行っているかが問題なのではなく、その思考や行為と「自分」という感覚を結びつけることが苦しみを生み出している、ということが見えてきます。

そして、そうやって苦しみを生み出している「自分」というものそのものが、そもそも幻のようなもので、実体としては存在していないことに気づきます。

苦しみを生み出す、ということすら、ただ起こっているのです。

このことに気づいたとき、「苦しみ」は終わります。

自分という夢から目覚めて、思わず周囲をきょろきょろと見回してしまいます。「いったい、なんという夢を見ていたのか!(^_^)」と。

※この記事への補足です。→頭の中を流れる音楽

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次の文章も読んでみて下さい。

自分に関する思い込みを手放すエクササイズ
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-20.html

苦しみの原因
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-22.html


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[ 2012/10/15 13:41 ] 気づき(〜2012/12) | TB(0) | CM(0)

私がいないとき私はいる

■2017年9月24日(日)癒しと目覚めの連続講座 in新大阪「私がセラピストになった理由」
■2017年10月29日(日)癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート
月曜日のアジャシャンティ勉強会(読書会)に参加して下さった皆様、ありがとうございました。今回はスケジュールを組んだときから懸念していたように、3連休の最終日で予定が合わずに参加を断念した方もおられたようですが、質疑応答、フリートーク、瞑想、それぞれに十分時間が取れて、少人数のグループならではの深い時間が過ごせたように思います。

次回の勉強会は11月4日(日)14時からです。ぼちぼち参加のご希望をいただいています。参加ご希望の方はお早めにご連絡下さい。

その前に、来週10月17日(水)19時からはお話会(フリートーク)の会を行います。このブログに興味をお持ちの方はお気軽にご参加下さい。

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「『私』という感覚が緩んでくる」という表現が好きで、このブログの中でもよく使っています。でも、とっても不思議なのですが、同時に「私」がしっかりしてくるような感覚もあるのです。

私は若いころからある種のノイローゼというか、神経症的な部分がとても強くてずいぶん苦しんできました。人格が成長していくのに必要な情緒的な関わりをほとんど経験したことがなかったのです。

そんな中で突然の目覚めの体験が起こり、それをうまく統合することができなかったのだと思います。統合するべき主体となる「私」があまりにも不安定だったのです。

もちろん、目覚めの体験を統合する、ということも、統合する主体となる私、というのも、どれも夢の中の出来事、夢の中の登場人物ではあるのですが、それが夢だとわかっていない段階では、目覚めへと向かう仮のステップとしてはとても大切なもののようです。

私のこの20年余りのプロセスの中では、大いなるものを思い出す作業と、個としての私を確立するために人との情緒的な関わりを取り戻す作業が、同時に並行して行われてきました。伝統的な悟りへのプロセスではまず自我を確立しそのあとに自我を超えていくという形で進んでいく2つのプロセスを、同時に進めていく必要があったのです。すると、その結果、言葉で表現するととても矛盾しているように見えますが、私という感覚が緩めば緩むほど、私がとてもしっかりしてくるような感じがするのです。

神経症的な、小さく収縮した自我が一度死に、その後にもっと自由な新しい自我が生まれて来ます。でも、新しい自分がしっかりと確立されてきたとき、同時にその自分は夢のようなもの、なんら個人的なものではないとすでにわかっているのです。

よく「エゴの消滅」とか「私がいなくなる」あるいは、アジャシャンティの本のタイトルのように「私の世界の終わり」などという言葉がありますが、これは私という感覚がまったくなったり、ぼーっとした意識状態ですべてが自動的に起こっていくような状態のことを言っているわけではありません。私という感覚はしっかりとあるし、私が自覚的に何かをやっているという感覚もあります。ただ、私に起こっているすべてのことがなんら個人的なものではない、ということがわかるだけなのです。雨が降ったり、お天気になったりするのとまったく同じように、自分の中で何かの思考や感情が生まれ、何かの行為が起こるのです。

そのとき、エゴ=私という感覚は、大いなるものがこの世界に自らを表現する出口、インターフェースのようなものになります。条件づけられ小さく縮こまっていた私が、大いなるものをこの世界に表現するというエゴの本来の役割に戻るのです。

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[ 2012/10/10 14:04 ] 気づき(〜2012/12) | TB(0) | CM(0)

目覚めると夢を見なくなる?

■2017年9月24日(日)癒しと目覚めの連続講座 in新大阪「私がセラピストになった理由」
■2017年10月29日(日)癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート
昨日、ジーン・クライン(Jean klein)の"I AM"を読んでいたら、かなり気になる文章を見つけました。「自分=意識であるということを理解してくると、(夜寝ているときに見る)夢をみなくなる」というようなことが書かれているのです。

アーノルド・ミンデルは「目覚めが深まってくると(という表現ではないのですが、ドリーミングと繋がってくると、だったかな?)夢を見なくなるわけではなく、夢がより鮮明になってくる」と書いていたのを思い出しました。

このミンデルの文章を読んだとき、私は少し違和感を感じたんですよね。私自身もすごく鮮明な夢をよく見ていたのですが、こんなふうに鮮明な夢を見るのは、目覚めのプロセスの中での一時的なことなのではないか、という気がしていたのです。

最近は以前ほど大きな夢(印象の強い夢、集合無意識と繋がるような夢)を見ることは減ってきていたのですが、一週間くらい前にとても強烈な夢を見て、まだ残っていた古い痛みのような感覚を久しぶりに感じる感覚がありました。それから、また急激に何かが変化するような感覚があったのです。そのあとに、最初に書いたジーンクラインの文章を読んで、妙に納得しました。

ジーン・クラインも夢をまったく見なくなると書いているわけではなくて、上記の文章のあとには「夢を見てもそれに巻き込まれなくなる」とも書いています。これは、いわゆる「現実の世界」をどのように認識するのか、ということと関連がありそうです。

私たちは、今生きているこの目に見える世界を唯一リアルな現実のように錯覚して生きています。夢を本当の現実だと思い込んで生きているわけです。そこになんらかの意識の変容、認識の変化が起こってくると、この世界は唯一リアルな世界ではなく、リアルであると同時に夢のようなものなのだ、ということがわかってきます。

世界という夢、自分という夢から覚めてくるわけです。

夢とわかった上でこの世界を生きる、あるいは、夢を見ないでこの世界を生きる、というような状態に移行してくる、と言ってもいいでしょう。たぶん、その移行と平行して、夜見る夢にも巻き込まれなくなり、やがてあまり夢を見ることがなくなってくるのではないかと思います。

もう少し別の視点から見ると、夜見る夢というのは、昼間十分に生きられなかったエネルギーを解放し、消化しているものです。昼間、目覚めた状態で生きることで、瞬間瞬間を完全に生きることができると、夜に持ち越すエネルギーがなくなるのだと思います。すると、夜夢をみる必要がなくなるのでしょう。

昼間見ている夢から覚めることができると、夜の夢からも覚めていくのかもしれません。

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Jean Kleinはエックハルト・トールと並んで、私の二大師匠(^_^)と言ってもいいくらい影響を受けています。残念ながらまだ日本語訳はありません。英語は簡単ですから、興味のある方はチャレンジしてみて下さい。ただ、表現がちょっと独特で、最初はとまどうかもしれません。

Jean Kleinを初めて読んでみようと思われる方には"Who am I"をお勧めします。


今日の記事でご紹介した"I AM"です。


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Jean klein は、フランス語を母語とする方のようで、Youtubeなどでビデオを見るとフランス語読みのジャン・クラインという発音がより近いようですが、ここではステファン・ボディアンの「過去にも未来にもとらわれない生き方」の中で使われている「ジーン・クライン」という表記を使うことにします。

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[ 2012/10/07 22:34 ] 気づき(〜2012/12) | TB(0) | CM(0)

(あらためて)感情を解放することの大切さについて

■2017年9月24日(日)癒しと目覚めの連続講座 in新大阪「私がセラピストになった理由」
■2017年10月29日(日)癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート

「わたしは時折、直接的な非二元のアプローチを通して苦しみから解放されようとする人たちと出会うことがあるが、彼らはいつもマインドの中で行き詰まっているように見受けられる。彼ら自身の感情や気持ちに彼らを実際に再びつなげることができる実践的な師と、一、二年は取り組んで過ごす方が懸命ではないかと思えるときがある。感情から解放されるには、ときには、強烈な感情を実際に表現するカタルシスは必要だ。」ジム・ドリーヴァー



以前からホームページやブログの中で感情、特に怒りや悲しみなどの否定的な感情に気づき、それらを解放することの大切さについて書いてきました。でも、それほど否定的なエネルギーにばかり焦点を当てなくてもいいのではないか、と考えていた時期もあるのです。

スピリチュアルな考え方の中には、意識を向けるものが実現される、というような考え方もありますから、否定的なものばかりに意識を向けるということは、そのエネルギーをさらに大きくしてしまう、と考えられなくもないでしょう。


もう10年近く前になりますが、ある方と話をしていて、次のようなことを言われたことがあるのを思い出しました。(正確な言葉は覚えていないので、細かい表現は違うかもしれません)

「中野さんのセラピーは怒りや悲しみなどに焦点を当て過ぎている。もっと光の部分だけに意識を向けるようにしたほうがいい。」

そう言われて、一時は「そうかもしれないな。セラピーの方向性を考え直したほうがいいのだろうか」と悩みました。でも今はそんなふうには思っていません。抑圧している怒りや悲しみに意識を向けていくことは、目覚めのプロセスの中ではとても大切なステップなのです。


私のセラピーはいわゆる「非二元的な考え方」にもとづいています。非二元的な考え方というのは、例えば、「すべては一つ」「すべてのことは自然に起こっている」「行為はあっても行為する人はいない」といったような表現で表されるものの見方です。

このような視点で世界を見ることができるようになったとき、本当の意味での癒し=全体とつながる感覚を感じることができ、生きることの苦しみから解放されます。この視点を獲得するまでは「ありのまま」という言葉の本当の意味も理解できません。


しかし、この非二元的な考え方を知的に受け入れ、さらにはある程度直感的に理解している人であっても、その感覚に安定していることは難しいようです。

一つには、自分が行為者であるという感覚、いわゆる「エゴ」の感覚はあまりにも深く根付いているので、本当はそうではない(行為する人は存在せず、行為が起こっているだけ)ということを直接的な体験として経験したあとでも、古い認識パターンに引き戻される、ということがどうしても起こるのです。


もう一つの要因は、目覚めの体験を、本当の自分を避けるために使ってしまうということです。

多くの人は子供時代に心の痛みを体験し、それに触れることを避けるために心と身体を緊張させています。

本当はその緊張感こそが周囲の世界から切り離された「自分」という感覚そのものなので、その痛みを十分に体験し、癒していくことで、自分が行為者であるという感覚、自分=エゴであるという思い込みから抜け出していくことができるのに、その痛みに触れるときに感じる一時的な苦しみを避けるために目覚めの体験を利用する、ということが起こるのです。「自分は目覚めの体験をして真実を知ったので、もう何も問題はないのだ」というように。

しかし、実際に起こっていることは、「自分は目覚めている」という考えに執着しているだけで、やがて自分が考えている目覚めの定義に反するような感情を体験したり、行為をしたりしている自分に気づいて、がっかりしてしまいます。

自分は目覚めているという考えを信じ込むことで、まだ未解決になっている感情的な問題を避けようとしてしまうわけです。「自分は目覚めている」というのもやってきては去っていく一つの思考にすぎないのに。

この段階では、アジャシャンティが「根本的な正直さ」と表現しているものがとても大切になります。自分の心の奥にあるすべての感情、すべての要素を、正直に、ありのままに認めていくことが必要なのです。


実際には「否定的な感情」などというものは存在していません。ただ一つのエネルギーの動きがあるだけです。問題は、ある感情はよい感情、ある感情はよくない感情と判断することそれ自体にあるのです。

自分の感情を抑圧しているということは、ある感情をよくない感情だと判断しているということです。セラピーの中で、怒りや悲しみにばかり焦点を当てているように見えるのは、多くの人にとっては、まず閉じ込めてしまっている怒りや悲しみに意識の光を当てていく必要があるからなのです。

光を当てていく、というのは、よい悪いという判断をせずに、ただ感情のエネルギーを感じ取っていく、ということです。

ところが、あまりにも抑圧が強い方にとっては、ただ感じるということはとても難しく、どういう感覚なのかがなかなかわからないことがあります。そういう方にとっては、泣いたり大きな声を出したり、というような激しい形の感情の解放(カタルシス)は、目覚めが深まっていくステップの一つとしてどうしても必要です。


ただし、このカタルシスの体験はとても気持ちがいいので、その体験に執着してしまう、ということも起こりがちです。

ある程度のカタルシスを体験したあとは、感情を外に吐き出すのではなくて、自分の内側でエネルギーそのものとして感じ取る、ということが必要になる時期がやってきます。

あらゆる感情を感じるままに、起こっているままに感じることが出来るようになってきたとき、感情そのもの(意識の対象物)から、それを感じている私(主体)へと意識の焦点が移ってきます。

感情が生まれてきては消えていくのを見ている私、思考が生まれてきては消えていくのを見ている私、その私を意識できるようになってきたとき、個別の私という感覚は自然と緩んできます。

私という視点が緩んできたときに初めて、よい悪いを超えて世界をありのままに見ることができるようになってくるのです。


怒りも悲しみも光の一部であることがわかります。

非二元、ワンネスという言葉の意味が理解されます。

理解する人は存在せず、理解だけがあります。

大いなるものが、大いなるものを自身を理解します。

ただ、それ、だけが存在しています。

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次回のアジャシャンティ勉強会(読書会)は10月8日(月・祝)14時からです。今回の記事の内容についても詳しくお話できると思います。このブログに興味をお持ちの方はお気軽にご参加下さい。

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[ 2012/10/05 22:25 ] 気づき(〜2012/12) | TB(0) | CM(2)

続・さまざまな目覚め

■2017年9月24日(日)癒しと目覚めの連続講座 in新大阪「私がセラピストになった理由」
■2017年10月29日(日)癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート
前回の記事(さまざまな目覚め)では、意識の発達段階のそれぞれの段階で「目覚め」と感じる体験が起こる、という事を書きましたが、神意識への目覚めの中でもいくつかの異なる「目覚めの体験」が起こります。

以下に書くことは、ずいぶん前からなんとなく感じてはいたのですが、それをはっきりと認識できるようになったのはステファン・ボディアンの「過去にも未来にもとらわれない生き方」の中でこのことに関連する話題を読んでからです。

神意識への目覚め=もっとも深いリアリティへの目覚め(以下「目覚め」と書きます)には2つの側面があります。


一つは、すべてのものは実体をもたない空っぽなものである、という認識です。

目覚めのプロセスが大きな喪失体験をきっかけに始まった、というお話をうかがうことはよくあることです。

その喪失の苦しみの中で物質的なものへ執着が自然にほどけていき、目に見えるこの世界には自分が思っていたような意味はないのだ、ということに気づいて楽になっていく、ということが起こります。

一方で、世界の空性に気づいただけでは「この世には何の意味もないのだ」というようなあきらめの気持ちが大きくなり、世界から距離を置くような態度になってしまうこともあるようです。

また、特に大きな喪失体験がなくても、あるとき突然に世界の空虚さに気づいてしまう、という体験もあります。

その場合、その空虚感をありのまま感じとることができないと、空虚感そのものが苦しみの要因になったりするかもしれません。


目覚めのもう一つの側面は、その「空」そのものが目に見えるすべての世界として現れている、すべてのものが一つに繋がっているという認識です。

そこでは、すべてのものは同じように意味と価値を持っていて、空はただからっぽなのではなく、満たされた空なのだ、ということが実感されます。

「色即是空、空即是色」という有名な般若心経の言葉は、その前半が目覚めの第一の側面(目に見える世界はすべてからっぽである)を表し、後半が目覚めの第二の側面(そのからっぽさが目に見える世界となって現れている)を表しています。

この目覚めの二つの側面が一つに統合されたときに、目覚めのプロセスが完了します。


ステファン・ボディアンによると、多くの人は世界の空性をまず認識し、そのあとに空もまた同時に形あるものである、という気づきを得ることが多いが、それが逆の場合もある、ということです。

ここを読んだときに、自分の目覚めの体験がとてもクリアーに見えてきたような気がしました。

私の20数年前の最初の目覚めの体験は、すべてのものが私であり神である、という気づきでした。そのときには、空性ということの認識はなんとなく感じているだけだったような気がします。

そして、数年前に体験した二度目の内的な大変動のプロセスを通して、それまでどこか無意識に避けようとしていた世界と自分の空性に否応無しに直面させられたような感じがしています。

そのプロセスがもっとも激しく進んでいたときには、ちょっと自分がおかしくなってしまうのではないかと心配になるくらいの感覚があったのですが、やがて「自分とは何でもなくて同時にすべてである」という認識に落ち着けるようになってきたとき、これまで感じたことのないような平安がそこにありました。

そして、これは何度も同じようなことを書いていますが、自分が平安になるのではなくて、もともと自分=平安、自分=沈黙なのです。

ただ、思考が邪魔をしてそのことが見えなくなっているだけです。

まずは、思考の背後にいつもある、平安、沈黙に気づくこと、そして、それをできるだけいつも意識しておくことが大切です。

すると、やがて「自分」という感覚が、この心と身体から平安そのもの、沈黙そのものへと自然にシフトしていくときがやってきます。

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次の記事も読んでみて下さい。

人生の意味~色即是空・空即是色(2010/07/10)
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-8.html

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今回のこの記事を書こうと思って久しぶりにステファン・ボディアンの「過去にも未来にもとらわれない生き方」を少し読み返してみたのですが、これは本当に良い本ですね。真の目覚めを探求している方には必読の本だと思います。

残念ながらすでに絶版になっていますが、最近は一時に比べるとアマゾンのマーケットプレイスの値段が大分下がって来ているので(一時は3万円くらいの値段になっていました)、読んでみたい方は手に入れておくといいかもしれません。

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こんなことを書いていたら、久しぶりに自分の体験を色々書いてみたくなってきました。最近の気づきをまとめてみてもいいかな、と思っています。

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[ 2012/09/19 23:43 ] 気づき(〜2012/12) | TB(0) | CM(2)
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 9月20日(水)20:00〜21:45

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 9月16日(土)13:00〜16:00
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