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心の癒しと意識の目覚めのために

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仕事(job)と天職(vocation)

仕事(job)と天職(vocation)ということについてぼんやり考えていました。

セラピーを受けに来て下さった方から「なぜ中野さんはセラピストになろうと思ったのですか」という質問を受けることがあります。

これはなかなか難しい質問です。(^_^)

というのも、そもそもセラピストになろうと真剣に考え、それに向けて努力をしたということがないからです。(ぼんやりと、こういう仕事が出来たらな、と思ったことはあります。その話はまたいつか。)

最初の覚醒体験が起こる前から、自分はどこかおかしいのではないかとうすうす感じていました。ですから、大学に入った頃から、本来の専門である経済学はそっちのけでフロイトやユングを手始めに心理学の本ばかり読んでいました。

その読書でなんとなくわかってきたこともあったのですが、そのことで何かが変わったわけでもありませんでした。

そうこうしているうちに身体や心のほうがだんだんおかしくなってきて、ついに内面で何かが爆発したわけです。

それは、長い間閉じ込められて、身動きがとれなくなっていた魂のエネルギーが本来のバランスを取り戻そうとする自然な働きだったのだと思います。

一度その動きが始まると、それを無視するのはなかなか難しいのですが、私の場合は、その魂のプロセスの意味を直感的には理解しながらも、親や周囲の世界から条件づけられた思考パターンは強力なものがあって、大学を出てから一般企業に就職しました。当時はそれ以外の選択肢は考えられなかったのです。

それはまた、親から物理的な距離をとって生活するため、つまり内的なプロセスをさらに深めていく環境を得るためにも必要なことだったな、と思います。つまりjob=生活のための仕事、ですね。

それは同時に親や周囲の世界からも妥当なものだと認めてもらえる生活の形、でもありました。

ところが、すでに「生きるということはそれだけではない」ということをかいま見ていた私にとって、その職場は最初から「ずっといる場所ではない」という感覚がある場所でした。そうかといって、何をしたいのか、どうしたらいいのか、ということもまったく見えていなかったのです。

その当時(1991~1996年頃)の私は、会社での仕事を最低限こなしながら、セラピーを受けたり、本を読んだり、後に妻となる人とのプロセスを深めていったり、ということにほとんどすべてのエネルギーを費やしていました。

生きていることがあまりにも辛くて、それをどうにかしたい、ということだけで日々を過ごしていたように思います。

東京~大阪間の毎週の移動を伴うような遠距離恋愛を今振り返ると、よくそんなことができたもんだ、と思うのですが、魂が本来の姿を取り戻そうとするエネルギーにはとんでもないパワーがあったのです。

次回に続きます。

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[ 2010/09/01 11:10 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

仕事(job)と天職(vocation)~2

前回の仕事(job)と天職(vocation)の続きです。

そうこうしているうちに自分の中で何かがストンと落ちるような感覚があって、もうここ(この職場)でやることは終わった、という確信のようなものがやってきました。会社勤めを始めてから4年半ほど過ぎていました。

この頃作った私の箱庭の写真があります。興味のある方はこちらからご覧下さい。気持ちの変化が箱庭の変化にあらわれています。会社を辞めたのが1996年3月、何かがストンと落ちる感覚があったのがその半年くらい前、後半の12回目と13回目の箱庭を作った間の頃です。


それと前後して、会社の中でとても嫌だった人のことが全然気にならなくなったり、会社にいても自分だけが別の世界にいるような感覚が出てきました。

5年勤めた会社を辞めて妻と暮らしつつ、会社勤めの間は受けられなかった集中的なセラピーのコースを受けたりしているうちに、それまでは自分自身を楽にしたい、癒したい、自分のこの苦しみをなんとかしたい、という気持ちで学んできたことがいつのまにか少しずつ仕事になってきたのです。

それは親や私の周囲の世界の一般的な基準からはずいぶん離れているけれど、魂(大いなる私)が本当に求めているもの、この中野真作という名前で呼ばれてきた心と身体を通して魂がこの宇宙の中で表現したがっていたもの(vocation=天職)なのだな、と思います。


私は、魂(大いなる自分)のエネルギーが自我(親や世界の条件づけによって作られた個としての自分)の仮面を破って溢れ出してくる体験を23才という若い時期に初めて経験しました。

一般的には、このような体験は中年の危機と呼ばれるように30~40代の頃に起こり始め、人生の後半に向け本来の自分を取り戻すように働きかけてきます。

そのプロセスは、それまで自分が自分だと思い込んできたものを揺るがすようなものですし、いったいこれまでの自分は何だったのか、というような空虚感をともなう辛いものかもしれません。

しかし、このプロセスをしっかり体験し通り抜けることで、人生の初期には感じることのできなかった、そして、そんなものがあるなんて想像することもできなかった生きる意味と安心感を感じることができるのです。

その最初の兆候はさまざまな形であらわれます。

心や身体の病気、事故、人間関係のトラブル、微妙なイライラや落ち着きのなさ、理由のわからない不安感。

それらの兆候をたんなる心身の不調や、困ったことだと思うのではなくて、魂からの大切なメッセージとしてとらえることが偉大な発見の旅の最初の一歩になるでしょう。


「中年の危機」について興味のある方は次の私の文章も参考にしてみて下さい。
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/shinsaku/words/cyuunennokiki.html

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[ 2010/09/02 21:03 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

自由に生きることは辛いこと?

自分の好きなように 自由に生きてきたのに

どうして生きることはこんなに辛いのだろう

もし そう考えているとしたら

あなたはとても無理をした生き方をしているのかもしれない

本当に自由に生きているのなら

「自分は自由に生きている」

という考えは

そもそも浮かんでこない


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[ 2010/09/03 18:53 ] つぶやき | TB(-) | CM(-)

父の死と人生ゲーム

暑い日が続くと、数年前に亡くなった父のことを思い出す事があります。といっても、亡くなったのは10月なのですが、最後に父に会ったのが、ちょっと日なたにいるだけでクラクラしてきそうな8月の暑い日だったのです。

亡くなる直前、少しずつ身体がマヒして動けなくなっていく状態の中で、父はいったい何を考えていたのでしょうか。きっと人生全体が過ぎ去っていく夢のように見えていたのではないだろうかと思います。

たぶん、そのあたりから、私の意識の中でも根本的で最終的なシフトが起こり始めたような気がするのです。

「死ぬ直前に人生を振り返れば、きっと人生全体が夢のような感じなんだろうなぁ」ということをぼんやり考えていると、つまるところ、今現実だと思っているこの人生は夢なのではないのか?、という感じがしてきました。

そして、「人生が夢」というのはどんな感じなのかな、と考えていたら、次のようなイメージが浮かんできたのです。

「人生ゲーム」というおもちゃ、というか、ボードゲームを思い出してみて下さい。ずいぶん昔からあって、内容は少しずつ変わりながら今も販売されている人気ゲームですから、ご存知の方も多いかもしれません。

#イメージが浮かんでこない方はタカラトミーのサイトを見て下さい。
http://www.takaratomy.co.jp/products/jinsei/

自分がこのゲームの駒というか登場人物だと考えてみて下さい。その自分にとっては、ゲームのボードの上だけが世界のすべてで、その外側に自分の知らない世界が広がっているなんて思ったこともありません。すると、その世界の中で起こる出来事は一つ一つがリアルで重大事です。

しかし、現実の自分はその世界を外側から見ながら、そこで起こることをゲームとして楽しんでいます。億万長者になろうが、破産しようが、生まれようが死のうが、それはゲームの中で起こっていることだとわかっています。

ゲームのボードの上だけで生きている自分は、いってみれば2次元の世界の人物で、もう一つ上の3次元の世界があることを知りません。

では、一つ次元をプラスして考えてみましょう。

今この文章を読んでいるあなたはこの3次元の世界の中で、日々の生活の中で起こるさまざまな出来事を通して、喜んだり悲しんだり苦しんだりしています。それ以外の世界があるなんて思ったことがなければ、この3次元の世界の中で起こることはすべてリアルで、どれもが重大事です。

ところが、2次元の人生ゲームでの出来事を3次元のあなたがゲームだとわかって眺めていたように、4次元(?)の自分がこの3次元の現実(だと思っているこの世界)を眺めてみれば、この世界の出来事もある種のゲーム、夢のような出来事に見えてくるのです。

すると、そこで何が起こっても、起こっていることをゲームのように気楽に楽しみながら体験することができる感じがしてきます。自分が生まれてくることや死んでいくことも含めて。

もちろん、だからといってその感覚は、人生をいい加減に生きる、という感覚とはずいぶん違います。余計なことを考えずに今やっていることに完全に意識を集中し、終わってしまえば結果にはこだわらない、そんな感じでしょうか。

本当の自分というのはこのゲームの登場人物ではなくて、ゲーム全体を眺めている存在なのです。

人生の中で大切なことは「ゲーム全体を眺めている視点も保ちながら、ゲームの登場人物の一人としてそれがゲームだとわかりながら真剣にゲームをすること」と言ってもいいかもしれません。

これは癒しと目覚め(悟り)のために必要なこと2の中で書いた「意識が意識そのものに気づいている状態」「神が自分が神であることに気づいている状態」と同じことです。


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[ 2010/09/05 13:24 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

自分の本質を感じるエクササイズ

前回の「父の死と人生ゲーム」の最後(と、「癒しと目覚め(悟り)のために必要なこと2」)に書いた「意識が意識そのものに気づいている状態」「神が自分が神であることに気づいている状態」というのはどんな感じなのか、今ひとつわからない、というご感想をいただきました。

もう少し身体の感覚に添った表現をすると次のような感じでしょうか。文章を読みながら、ご自分の身体の感覚で試してみて下さい。

私たちは通常、感覚の対象物にばかり意識が向いていて、感覚の主体を意識することはあまりありません。例えば、何かに触っているときに、触っているものは意識しているけれど、触っている手を意識することはあまりありません。これは、感覚の主体のほうに意識を向けるエクササイズです。


まず、手で何かを触ってみて下さい。何かがあなたの手に触れている感覚があります。柔らかい感じ、あたたかい感じ、ゴツゴツとした感じ、冷たい感じ、など、いろんな感覚が感じられます。

では何も触っていないとき、あなたの手にはどんな感じがあるでしょうか。手そのもの感覚がそこにあるはずです。

何も触っていないときの手そのものの感覚を意識してみましょう。


次に、何かを食べているときのことを思い出してみて下さい。実際に何かを口に入れてみるといいかもしれません。

いろんな味を感じます。甘さ、辛さ、酸っぱさ、苦さ、、、。熱さや冷たさ、また、いろんな舌触りも感じるでしょう。

では、何も口の中に入っていないとき、口の中そのもの、舌そのものにはどんな感じがあるでしょうか。口そのものの感覚、舌そのものの感覚がそこにあります。

何も口に入っていないときの、口の中そのもの、舌そのものの感覚を意識してみましょう。


さて、あなたの心の中にはいろんな考えが浮かんでは消えています。このブログはおもしろいなあ(難しいなあ、つまらないなあ、、、)、今夜何食べようかな、あの人はどうしてあんなことを言ったのだろうか、、、。

今起こっていることを実況中継していたり、すでに起こったことあれこれ悔やんだり、これから起こるかもしれないことを心配したり、、、。いろんな考えが心の中を流れています。

では、心の中に何の考えもないとき、そこにはどんな感じがあるでしょうか。心そのもの、その中で考えが浮かんできては消えていく心の空間そのものの感じがあります。

心の中に何の考えも浮かんでいないときの、心そのものの感覚を意識してみましょう。そこにはいったい何があるでしょうか。

それについて考えないようにして、ただその感覚を意識してみて下さい。ほっとする感じ、空っぽな感じ、満たされた感じ、不安な感じ。どんな感覚があっても大丈夫ですから、ただその感覚を味わってみて下さい。そして、その感覚が浮かんでいる心の空間を意識してみて下さい。

そのときあなたはすべての存在の一番奥にある、「空(くう)」そのものを感じています。

意識そのものを感じています。

あなたの本質そのものを感じています。


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[ 2010/09/07 22:30 ] エクササイズ | TB(-) | CM(-)

意識の目覚め(悟り)とアダルトチルドレン

アダルトチルドレンという言葉を聞いたことがある方は多いと思いますが、その言葉の意味を正確には知らない方もいるかもしれません。「アダルトチルドレン(AC)」とは、子どものような大人という意味ではありません。正確には「機能不全家族で育って大人になった子ども(Adult Children of Dysfunctional Family)」のことで、その最初の2語を使って省略しているわけです。

機能不全家族というのは、家族が家族として本来必要とされている機能を果たしていないということです。

子どもは家族(=最初の親密な人間関係)の中でありのままの自分として尊重されることで健全な自我(自分という感覚)を育み、自分が自分としてこの世界の中で生きていても大丈夫なのだ、という根源的な安心感、信頼感を感じます。

こうして「世界は自分の味方なのだ」という感覚を感じ、その世界への信頼感をベースにして、世界に向けて自分を適切に主張したり、深い人間関係を作っていくことができるようになるわけです。

ところが、不幸にしてこうした根源的な安心感をほとんど、あるいはまったく感じたことのないまま大人になっている人(アダルトチルドレン)もたくさんいます。

そういう人たちにとっては生きているということ自体がとても辛くて苦しいものになります。

理由のわからない不安感や空虚感、生きている意味がないような感覚に襲われることもあるでしょう。

自分が適切に扱われていないと感じると、人は怒りを感じます。ところが、機能不全家族の中ではその怒りを感じることすら許されていないことがほとんどですから、自分が怒りを感じているという事実は心の奥に閉じ込められてしまい、周囲の世界に投影されて理不尽な怒りを人からぶつけられたり、その怒りが自分を攻撃して病気になってしまうこともあります。

#「投影」はとても大切な考え方ですから、またいずれ詳しく書いていきます。

癒しと目覚めのプロセスの中では抑圧されていた否定的な感情を浄化していくということがとても大切になりますが、その中で自分でも意外なほどの激しい怒りが込み上げてきてビックリしてしまうことがよくあります。この怒りはこんなところに理由があるわけです。


と、ここまでは通常の「アダルトチルドレン」の理解です。ここで(ある程度)健全に機能している家族というのは、家族の中で情緒的なつながりがあることや、感じていることをお互いに自由に話し合い、そう感じているということを認め合える、というような状態を意味しています。ものの本によれば、そんな家族は全体の20%から5%くらいだと考えられているようです。

しかし、機能不全家族という言葉にはもう一つ深い意味があるのではないかと私は思っています。

次回に続きます。

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[ 2010/09/09 23:06 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

意識の目覚め(悟り)とアダルトチルドレン~2

前回の「意識の目覚め(悟り)とアダルトチルドレン」の続きです。前回は、子どもの頃に世界に対する根源的な信頼感を感じることができないと生きることそのものがとても辛いものになってしまう、ということを、アダルトチルドレンや機能不全家族についての基本的な考え方とともにご紹介しました。今回はその続きで、アダルトチルドレンの考え方と意識の目覚め、魂との関連についてお話します。

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自我がまだ十分に発達していない子どもは自分自身の本質とのつながりを深く意識しているはずです。つまり、魂としての、神としての、意識そのものとしての自分の存在を無意識に感じ取っているのではないでしょうか。(もちろん、大人も含めて皆がそうなのですが、通常の大人はそのことをほとんど意識していません。)

すると、魂として、神として、意識そのものとして自分のことを扱ってもらえないことは、子どもにとっては大きなストレスとなり、怒りを感じる体験なのではないかと思うのです。

しかし、そのうちに子どもは親や社会の期待に添って自我と呼ばれる性格の鎧を発達させ、自分の本質とのつながりを忘れてしまう健全な(!)大人になってしまいます。

魂として、神として、意識そのものとしての自分を認めてほしいと潜在的には感じていながら、その欲求を満たしてくれる親はほとんどいませんから、その点でも子どもは怒りを感じるわけです。

すると、情緒的な意味ではある程度満たされた子ども時代を送っている人であっても、スピリチュアルな意味では欲求不満を感じ、心の痛みを抱えていると言えるのです。つまり、ほとんどすべての人はスピリチュアルなアダルトチルドレンと言ってもいいのではないでしょうか。

もちろん、「自分の家族は何の問題もない普通の家族だった」と自分でおっしゃる方ほど通常の意味で深い問題を抱えた家族であることが多いのですが、中にはある程度健全な家族の中でほどほどに満ち足りた子ども時代を過ごしていながらも、内的な探求を深めていくと思ってもみなかった怒りや悲しみが出てくることがあるのです。

それらは、魂としての自分を認めてもらえなかった、そして今自分でも認めることができていないことからくる「魂の痛み」だと考えられるのではないでしょうか。

その「魂の痛み」に気づいて、そこに愛を向ける=その痛みを痛みとして自覚してしっかり感じ取るということが、目覚めのプロセスの大切な一部となるのです。

それはまた、生きることと死ぬことの意味を深く問いかける体験になります。

目に見える現実の世界とのバランスを取りながらこの体験を通過していくのは、一時的には辛い体験にもなりますが、得られるものもまた限りなく大きいものがあるでしょう。


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[ 2010/09/11 14:31 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

「今ここ」のパワー(The Power of Now)

エックハルトトールの「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる(The Power of Now)」を読み返しています。もう5、6回目になるでしょうか。読むたびに理解が深まる感じがします。というよりも、深い変化が起こっているときに読みたくなる感じかな?


少し読んでみてあらためて感じること。

本当の癒し、本当の変化(変容)は意識を「今ここ」に持ち続けることで自然と起こる。

意識を「今ここ」に持ち続けることが、手放すこと、ありのままでいるということ。

宗教的な文脈では、神に帰依すること、などと呼ばれることもあるが、同じこと。

さまざまな瞑想法は、意識を「今ここ」に持ち続けるための練習法。

意識を「今ここ」に持ち続けられるようになると、未解決の問題や痛みが浮上してきやすくなって、一時的に苦しくなることがある。そのときに何かがうまくいっていないのでは、と考えてしまうことがあるが、そうではない。この段階ではセラピーやカウンセリングが役に立つ。

痛みや苦しみを感じても、できるだけ意識を「今ここ」に持ち続けることで、「今ここ」の光を当てていくことで、痛みや苦しみも消えていく。ペインボディが溶けていく。

痛みや苦しみが大きいほど、しっかりと「今ここ」にいることが大切。

「今ここ」にいるために必要なこと

 ・思考を観察する=思考は自分ではないと気づく

 ・身体を感じる=インナーボディを意識する

これもよくわからない、と感じるときは、まず感情に気づくこと、感情を解放することが必要。


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[ 2010/09/13 10:10 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

過去からの解放

いつの頃からかずっと不思議に思っていたことがあります。

どうして人間は昔のこと、すでに終わったことを何度も思い出しては、悔やんだり心配したりするのでしょうか。

例えば、何年も前に誰かに言われた言葉で傷ついた経験があったとします。そのことはもう過去のことで、すでに終わっているのに、そのことを何度も何度も思い出しては、「あのときあんなことを言った○○さんのことは許せない」と考えて怒りや憎しみを感じることがあります。

子どもの頃に親から辛い扱いを受けたことがあったします。そのときにはとても辛くて、親に対して怒りや憎しみを感じたことでしょう。本当に辛い扱いを受けたとき、そう感じることは人間の感情としては自然なことだし、当然のことです。でも、そのことは何十年も前のことで、出来事自体はすでに終わっているのに、今でもそのことを思い出しては怒りや憎しみを感じることがあります。

同じことは集合的なレベルでも起こります。

何百年も前に起こった人種間、宗教間、国家間の争いのことを世代をまたいで語り継ぎ、今でもそのことで憎しみあい、反目し合っている人たちがいます。その最初の出来事自体はとっくの昔に終わっていて、過去のことになっているのに、そのことをわざわざ忘れないようにするために、そのことに関する物語は親から子へと引き継がれ、否定的なエネルギーを再生産し続けています。


これはよく考えてみると、あまりにもおかしなことのような気がします。

本来、感情のエネルギーというのは、波のようなもので、意識的に流れをブロックしてせき止めたりしなければ、自然にわき出してきてはそのうち消えていくものです。

感情は起こったときにそのエネルギーを十分に感じとっていけば(=「今ここ」の意識で感じていけば)、そのうち消えていくものなのです。

自然な状態であればやがて消えていく感情の流れ、特に否定的な感情をわざわざ維持し続けるには、とても大きなエネルギーを使って心と身体を緊張させ、その流れをせき止めておく必要があります。生きるエネルギーのほとんどすべてを否定的な感情(とそれを再生産するための思考)を維持し続けることに使っていたら、生きる事が辛くなるのは当然かもしれません。

心の中で知らないうちに何度も繰り返されている否定的な思考、自分や他者を非難したり攻撃したりしている物語に気づいてみて下さい。気づくだけで、今ここの意識から光があたり、その思考(物語)が生み出す否定的なエネルギーは少しずつ小さくなっていきます。思考=自分だという無意識の思い込みから少しずつ抜け出していきます。

すると、過去に起こった出来事の記憶自体が消えてしまうわけではありませんが、それが自分に影響を与えることがなくなってきます。その出来事によって自分を定義することがなくなってきます。過去から解放され始めます。


否定的な思考と否定的な感情は互いに互いを再生産する悪循環におちいっていますから、そこから抜け出すためには、知らないうちに心に浮かんでくる無意識の思考パターンに気づくことと、心の奥に閉じ込められてはっきりと意識できていない感情に気づいて浄化していくという、思考と感情両面からのアプローチが大切になるわけです。

「過去からの解放2~死と再生のプロセス」も読んでみて下さい。


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[ 2010/09/17 01:48 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

過去からの解放2~死と再生のプロセス

前回の「過去からの解放」について、最近の私自身の気づきも含めて、もう少し補足してみます。

私たちは心の中を流れていく思考によって自分自身を無意識のうちに定義してしまっています。例えば「自分は自信がない」という思考を信じて、そのことをいつも考えている人はどんどん自信がなくなっていきます。

というよりも、自信がない人というのは、「自分は自信がない」という思考を信じている人、と言ったほうがいいかもしれません。

そして、このことは、いわゆる「性格」に関することばかりではありません。

私はごく最近まで「私は1965年3月23日に、この地球上の日本の福岡県の某所で生まれ、中野真作という名前で皆から呼ばれてきたこの心と身体だ」という考えを何の疑いもなく信じていました。(20数年前に、一度そこに亀裂が入ったのですが、それは出来るだけ見ないようにして)

もちろん、そのこと自体は悪いことではなくて、この世界と呼ばれるゲームを続けていく上では必要なルールなのですが、それが本当の真実ではなくて単にゲームのルールでしかない、ということを忘れてしまうと、生きることを真剣に考えすぎてしまいます。

その上、もし私が「私は1965年3月23日に、この地球上の日本の福岡県の某所で生まれ、中野真作という名前で皆から呼ばれてきたこの心と身体だ」という考えを信じてしまうと、それに関連するさまざまな思考=物語(ストーリー)がその思考にぶら下がるように増殖していき、「私」に関する膨大な物語が生まれてきます。

例えば私の場合、「神経質な父親と自分の気持ちを完全に抑圧してしまった母親のもとで、親との情緒的な交流をまったく持つことが出来ないまま大人になってしまった」とか、「小学校の頃に教師の暴力で深く傷つく体験をしたことで、人前でひどく緊張して何も話せないようになった」などといった物語が積み重なってきました。

それらの出来事(子どもの頃の親との関係、小学校での教師との関係、私が母から生まれたということも!)は、それが起こった瞬間にはそのときの真実であったはずですが、それはずっと昔に終わっています。

今この瞬間の私にとって、それらの出来事は「今この瞬間に心の中に起こっている思考」でしかありません。「過去」だと思っているものは、実は「今」の思考なのです。

このことが実感されてくると、いわゆる「過去」との関わり方が根本から変わってきます。もちろん、それは、「私は本当はあの母親から生まれてきたのではないんだよ」などと考えることとは違います。

確かにあの母から生まれて来ているし、辛い体験もいくつもしてきました。でも、そのことに感情的に影響されなくなる、という感覚でしょうか。自分の過去が、何か映画でも見ているような、本当の自分とは直接関係のない物語のように感じられてくるのです。

過去に起こったこと(=今自分の心の中にある過去についての思考)にとらわれなくなって、今をもっと自由に生きることができるようになってきます。

これがいわゆる「死と再生」のプロセスです。古い自分を手放す、古い自分が心理的に死んでいくということです。

心理的なものであっても「死」はエゴ(小さな自分)にとっては恐ろしいことですから、どうしても抵抗します。「死と再生」のプロセスを通過していくことで、もっと楽に、自由になっていくということが頭で理解できていたとしても、無意識に恐れてしまうわけです。

でも、その「死と再生」の体験を意識的に通過していくことで得られるものは無限に大きいものです。

それまで自分が自分に課していた制限から解き放たれて、宇宙が自分にさせたがっていることを自由に表現できるようになってきます。

大きな流れと一つになって、自由に生きられるようになってくるのです。

目覚めること、悟ることというのは、偉い人や聖人君子になることではなくて、私に関する思考を含めて、心の中を流れていく思考にとらわれなくなることを意味しています。


この文章について興味のある方は次の私の文章も参考にしてみて下さい。

苦しみの原因2~私の思考は誰のもの?
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-23.html


「私」とは誰か
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-4.html

 簡単なエクササイズですから、ぜひご自分でもやってみて下さい。


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[ 2010/09/20 19:01 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)
プロフィール

中野真作

Author:中野真作
スピリチュアルセラピスト。1997年からヒーリング&カウンセリングルーム「スペースまほろば」主宰。悟り・非二元の視点から人生のあらゆる苦しみを手放すお手伝いをしています。
スカイプセッションと境港での対面セッションは随時、東京・大阪での出張個人セッションやお話会も定期的に行っています。セッションの詳細につきましては、スペースまほろばをご覧下さい。

「悟り(非二元)と癒しのお話」youtubeで配信中

中野真作の悟り(非二元)と癒しのお話シリーズ第一回「悟りの本質〜すべては自然に起こっている」。その他の動画はyoutubeのスペースまほろばチャンネルをご覧下さい。
東京・大阪・福岡出張個人セッション
■福岡出張個人セッション
2023年11月8日(水),9日(木)
■東京出張個人セッション
2023年11月20日(月)〜24日(金)
■大阪出張個人セッション
2023年12月18日(月)〜21日(木)
オンラインでのセッションは随時ご予約をお受けしています。予約状況はこちらから。
中野真作の癒しと目覚めのお話会スケジュール
ゆったりした雰囲気の中で、あなたの本性である悟り、沈黙の香りを味わっていく集まりです。悟りたい方、非二元に興味のある方、生きるのが辛い方、友達がほしい方、ただのんびりしたい方、お気軽にご参加下さい。>>>お話会の総合案内とスケジュールの一覧はこちら
■中野真作の癒しと目覚めのワークショップ〜「私はいない」を越えて人と世界とつながる方法〜
福岡2023/11/7(火)10:15〜17:00
東京2023/11/19(日)10:00〜16:45
オンラインお話会
2023年11月12日(日)20:00~21:30

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