前回の
「過去からの解放」について、最近の私自身の気づきも含めて、もう少し補足してみます。
私たちは心の中を流れていく思考によって自分自身を無意識のうちに定義してしまっています。例えば「自分は自信がない」という思考を信じて、そのことをいつも考えている人はどんどん自信がなくなっていきます。
というよりも、自信がない人というのは、「自分は自信がない」という思考を信じている人、と言ったほうがいいかもしれません。
そして、このことは、いわゆる「性格」に関することばかりではありません。
私はごく最近まで「私は1965年3月23日に、この地球上の日本の福岡県の某所で生まれ、中野真作という名前で皆から呼ばれてきたこの心と身体だ」という考えを何の疑いもなく信じていました。(20数年前に、一度そこに亀裂が入ったのですが、それは出来るだけ見ないようにして)
もちろん、そのこと自体は悪いことではなくて、この世界と呼ばれるゲームを続けていく上では必要なルールなのですが、それが本当の真実ではなくて単にゲームのルールでしかない、ということを忘れてしまうと、生きることを真剣に考えすぎてしまいます。
その上、もし私が「私は1965年3月23日に、この地球上の日本の福岡県の某所で生まれ、中野真作という名前で皆から呼ばれてきたこの心と身体だ」という考えを信じてしまうと、それに関連するさまざまな思考=物語(ストーリー)がその思考にぶら下がるように増殖していき、
「私」に関する膨大な物語が生まれてきます。
例えば私の場合、「神経質な父親と自分の気持ちを完全に抑圧してしまった母親のもとで、親との情緒的な交流をまったく持つことが出来ないまま大人になってしまった」とか、「小学校の頃に教師の暴力で深く傷つく体験をしたことで、人前でひどく緊張して何も話せないようになった」などといった物語が積み重なってきました。
それらの出来事(子どもの頃の親との関係、小学校での教師との関係、私が母から生まれたということも!)は、それが起こった瞬間にはそのときの真実であったはずですが、それはずっと昔に終わっています。
今この瞬間の私にとって、それらの出来事は「今この瞬間に心の中に起こっている思考」でしかありません。
「過去」だと思っているものは、実は「今」の思考なのです。このことが実感されてくると、いわゆる「過去」との関わり方が根本から変わってきます。もちろん、それは、「私は本当はあの母親から生まれてきたのではないんだよ」などと考えることとは違います。
確かにあの母から生まれて来ているし、辛い体験もいくつもしてきました。でも、そのことに感情的に影響されなくなる、という感覚でしょうか。自分の過去が、何か映画でも見ているような、本当の自分とは直接関係のない物語のように感じられてくるのです。
過去に起こったこと(=今自分の心の中にある過去についての思考)にとらわれなくなって、今をもっと自由に生きることができるようになってきます。
これがいわゆる
「死と再生」のプロセスです。古い自分を手放す、古い自分が心理的に死んでいくということです。
心理的なものであっても「死」はエゴ(小さな自分)にとっては恐ろしいことですから、どうしても抵抗します。「死と再生」のプロセスを通過していくことで、もっと楽に、自由になっていくということが頭で理解できていたとしても、無意識に恐れてしまうわけです。
でも、その「死と再生」の体験を意識的に通過していくことで得られるものは無限に大きいものです。
それまで自分が自分に課していた制限から解き放たれて、宇宙が自分にさせたがっていることを自由に表現できるようになってきます。
大きな流れと一つになって、自由に生きられるようになってくるのです。
目覚めること、悟ることというのは、偉い人や聖人君子になることではなくて、私に関する思考を含めて、
心の中を流れていく思考にとらわれなくなることを意味しています。
この文章について興味のある方は次の私の文章も参考にしてみて下さい。
苦しみの原因2~私の思考は誰のもの?
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-23.html「私」とは誰か
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-4.html 簡単なエクササイズですから、ぜひご自分でもやってみて下さい。
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