次の文章はホームページの中の
「なーんだそうだったの?~実践ガイド」の続きです。少しまとまったらホームページの方にも掲載する予定です。
この一つ前は
「大きくなりすぎた違和感」をご覧下さい。
今回の新しいシリーズを最初から読んでみたい方は
「歯が抜ける~死と再生あるいは通過儀礼」をご覧下さい。
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■「なーんだそうだったの?~実践ガイド」(25)
死の恐怖を超えて
親知らずの抜歯中と、その夜から翌朝にかけて体験した意識のクリアーなスペースは、私の内面にまだ浄化されないまま残っていたエネルギーをやさしく受け止めてくれる受容的なフィールドになってくれたのかもしれません。
抜歯後の傷が少しずつ癒えてくる一方で、内面的にはそれまで体験したことがないほどの動揺を感じていました。まるで、それまでは傷つき化膿した親知らずによって蓋をされていたエネルギーが、その重い蓋が取り去られたことで一気に噴出してきたかのようでした。
人間関係の中でそれまで意識したことのないほどの激しい怒りを感じ、関係が難しくなってしまうことがありました。自分の内面にまだ浄化されていない怒りがあることは自覚はしていたのですが、それが自分のコントロールを超えてあふれて来たような感じがしました。
いつも周囲の人には、感情をありのまま感じるように、とアドバイスしている私ですが、そのアドバイスも忘れてしまいそうなエネルギーに圧倒されていました。
自分の内面からわきあがってくる膨大なエネルギーにしばらく振り回されたあと、やっと、いつものアドバイスを自分に適用するときなんだ、ということに気づきました。いつも自分が言っていることなのに、その渦中にいるとそのことはすっかり忘れてしまうのですね。
その激しい怒りのエネルギーに意識を向けて、できるだけ判断しないようにしながら体全体で感じとっていくと、その激しいエネルギーが何かを燃やしていくような感覚になってきました。怒りのエネルギーがそれ自身を燃やして浄化していくような感じでしょうか。「意識の光を当てると、苦しみが意識そのものに変わっていく」という言葉の意味を実感しました。
怒りが意識を向けられることで小さくなってくると、これも過去にあまり感じたことのないような不安感と死の恐怖がやってきました。
自分がこの世界に一人ぼっちでいるような感覚。将来に対する漠然とした不安感。この身体はいつかなくなってしまうのだ、という恐怖感。妻が横に寝ているのに、夜中に一人ぼっちの感覚が急に大きくなってきて、ちょっとやばいんじゃないのか、このままおかしくなってしまうのではないか、という不安を感じこともありました。
いったいこれまでの自分の人生はなんだったのか。若い頃はいつも苦しみの中にいて真っ暗な青春時代を過ごし、大人になっても、いわゆる人並みの職業を続けることができず、子どもを育てることもしてこなかった。そんな自分がなさけないような寂しいような、そしてこれから先年老いていくことへの不安と恐れ、、、。なんというか、生きることに付随している根源的な怖れのようなものが一気にわきだしてきたような感覚でした。
これまで、20代の一番辛かった頃も含めて、本気で死にたいと考えたことはありませんでした。(衝動的に自殺してしまうのではないか、と不安になったことはありますが。)なのにこのときには、もう死んでしまいたい、という絶望感のようなものが自然と心を占めていることに気づいて、自分でも驚いたりしました。
特に印象に残っていることが一つあります。夜中にものすごく不安になって、それを感じようとしているときに、死の恐怖の固まりのような膨大がエネルギーが身体を足の先から頭の方に向かって駆け上がっていき、頭の先から抜けたような感覚が起こりました。これは不安や恐怖の形をとっていたけれど、ある種のスピリチュアルなエネルギーのようなもの(クンダリーニ?)が流れていったのではないかという気もしています。
一番辛かった時期は1週間にも満たなかったと思うのですが、その後さらに1、2週間ほどはお腹のあたりになんともいえない不安感があって落ち着かない感覚がありました。
この状態から徐々に抜け出していく中で、大阪でグループをやることやこの文章(なーんだそうだったの?実践ガイド)の続きを書くことなど、それまで長い間アイデアだけでなかなか実行できなかったことをやってみよう、という気分になってきたのです。グループの中で話すことやこの文章を書く事で自分が感じてきたことをこれまで以上に正直に伝えることを始めると、いろんな不安感、特に死に対する恐怖感はなくなってきました。
一般的な意味で、どうせいつかは死ぬのだから自分がやりたいことをもっと自由にやってみよう、という感覚もあったのですが、宇宙が自分にさせたがっていることに対する抵抗をやめていく、という感覚のほうが大きいような感じがします。何かが足りないと感じていた最後の1ピースは宇宙の流れに逆らっていたことから来ていたのだ、ということがはっきりわかってきました。
生きていく上で体験するさまざまな問題や苦しみというのは、突き詰めてみるとたった一つの原因からきています。
それは、大きな自分(宇宙としての自分、神としての自分、仏陀としての自分)を忘れてしまって小さな自分(この心と身体を持って、皮膚の内側だけに閉じ込められていると感じている自分)だけを「自分」だと思い込んでしまうことです。
自分のアイデンティティが小さな自分から大きな自分にシフトしてくると、日常的な意識から見れば解決しようのないような問題にも解決策があることがわかってきます。それは、具体的には、宇宙の流れを感じとり、それに逆らわないようにしていくこと、自然な流れの中に身をゆだねていくこと、宇宙と一つになること、と言ってもいいかもしれません。
痛んだ親知らずで蓋をすることで、そして、死の恐怖を感じないようにすることでぎりぎりまで逆らい続けていた宇宙の流れがいっきに襲いかかってきて、もうこれ以上逆らってはいられないよ!と言われたかのようです。
しかし、今思えば今回のこの親知らず抜歯事件?によって起こった私にとっての内的な大変動は数年前から少しずつ準備されていたような感じがするのです。
この「なーんだそうだったの?~実践ガイド」の続きは
最後の壁へ
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