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「なーんだそうだったの?~実践ガイド」の続きです。少しまとまったらホームページの方にも掲載する予定です。
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「歯が抜ける~死と再生あるいは通過儀礼」をご覧下さい。
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■「なーんだそうだったの?~実践ガイド」(27)
「今ここ」にとどまる
最近よく思うのは、私のこの目覚めへの旅は
22年前の最初の体験のときに始まったと同時に終わっていた、ということです。最初の体験のときにすでにすべてわかっていた。いやいや、そうではなくて、その体験のずーっと前、歴史が始まる前からわかっていた、というような不思議な感覚もあります。
私はあまりきちんと座って行う瞑想は行ってこなかったのですが、初期の頃は自分自身がブレスワークを中心としたセラピーを受けることで、のちにはセラピストとしてクライアントの方と向き合う中で、自分自身の内面と向き合う作業を続けてきました。このプロセスが私にとっての瞑想になっていたのかもしれません。その結果、この数年間に瞑想的な状態が非常に深まっている感じがしています。
数年前のある日の夜、布団に横になっていると、心の中がしーんと静まって、まったく思考が流れていない時間がずいぶん長く続いていることに気づきました。それまで意識して思考のすき間を感じようとすれば、短い時間であれば感じることはあった感覚が自然に永続していることに初めて気づいたのです。
それまでは、夜寝ようとして布団に入っても、1時間、場合によっては2時間以上も頭の中にあれやこれやの思考が流れ続けてなかなか眠れなかったのが、とても寝付きがよくなってきました。よく眠れるようになれば、当然身体の調子もよくなってきます。エネルギーの流れがよくなってきて、以前ほど疲れを感じなくなってきました。
今でも無意識の思考にとらわれて、「今ここ」から離れている自分に気づくことはありますが、その頻度は減ってきて、気づくことですぐに「今ここ」の大きな自分の意識に戻るれるようになってきました。
ポイントは、この思考のない状態に意識的にとどまることで、それが瞑想と呼ばれる行為なのです。そうすることで、小さな自分へのしがみつきが少しずつ緩んで、アイデンティティが大きな自分へ自然に拡大していきます。
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このプロセスについて書いたのは、この思考のない状態の体験はは
22年前の最初の体験のあとにもまったく同じように起こっていたことを思い出したからです。
からっぽの空間の中で私の思考や他の人の思考や世界のあらゆるものが流れていくような不思議な感覚を感じていたのですが、そのときの私はその感覚を何かとても不安な感覚として感じていたように思います。
もし、そのときに誰かが「安心して、その感覚にただとどまっていればいいんだよ」ということを教えてくれていたら、私のその後のプロセスはもっと順調に進んだのでしょうか?
いやいや、でも、そうなったことはすべてそうなるようになっていたわけですから、私のこれまでの体験はどれも必要なものだったのでしょう。
トランスパーソナル心理学などでは、自我をしっかりと確立してから、次にそれを越えていく(小さな自分だけを自分だと考えている思い込みを手放して、大きな自分へとアイデンティティを拡大していく)ことが大切であることが強調されます。(最近、この考えに対する反論もあることを知りました。私の体験を理解するうえで役立つ可能性もありそうなので、もう少し学ぶことができたら、またいつか取り上げたいと思っています)
私の自我はあまりにも貧弱だったので、自分の本性である広大な空間(目覚めた意識、今ここ)をそのまま感じとってしまっては、その中に溺れてしまったのではないでしょうか。あちらの世界に行ってしまって、こちらの世界(日常的な意識状態で認識される世界、合意的現実"consensus Reality"の世界)とのつながりを失ってしまい、日常生活がまともにできなくなってしまったのではないかと思います。
そのために、大きな自分とのつながりは一時的に封印して、大きな自分を認識するための足場となる仮の自我(小さな自分)を先に育てる必要があったように思います。足場がないと建物を建てられないような感じ?いやいや、このたとえを使うのであれば、先に足場を作らないと建物を壊せない、と言ったほうがイメージが近いかもしれません。
足場を作って建物を建てているつもりでいても、その建物が出来たと思って足場を外してみれば、そこにあったと思いこんでいた建物は実体のないまぼろしのようなものだったことに気づくのです。
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ただ、これまで一般的な目覚めのプロセスとされていたものは、若い頃は大きな自分、覚醒、悟りなどにはまったく関心を持たずに、いわゆる世俗的な目的(お金、名誉、地位、人間関係、、)などを追い求め、それらを求める欲求をある程度満たした上で、それでも何か満たされない感覚がある、人生には何かもっと違うものがある、と感じ始めて、探求の道に進む、という形が多かったのではないでしょうか。
ところが、セラピーの中で出会う多くの方のお話をうかがっていると、最近は私の例のように、ずいぶん若い頃、自我がまだしっかりと確立されていないときに最初の目覚めの体験をする人が増えているような感じがします。
次回はそのあたりのことについて書いてみましょう。
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二重の目覚め、二重の苦しみへ
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