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心の癒しと意識の目覚めのために

スペースまほろば別館 本当の自分を知り、楽に生きるためのヒント 自己実現、悟り、アドヴァイタ、非二元、瞑想、プロセスワーク、スピリチュアル、アダルトチルドレンetc...

流れそのもの

この2、3週間ものすごく眠くて、特に先週境港の自宅にいたときは、もう暇さえあれば眠っていたような感じがありました。

今週の日曜から月曜にかけて、何かエネルギーが変わってそこから抜け出したような感覚を感じたと同時に、定期的にセラピーを受けて下さっている方3名から大きな変化や気づきを体験したというメールをいただき、ちょっと驚きました

月曜日は民主党の代表選挙もあって、社会的にも大きな変動がありました。

また、あとで知ったのですが、月曜日は新月だったのですね。

自分が変わればまわりの世界が変わる、という言い方がありますが、もっと正確に言えば、自分とまわりの世界は別々のものではなく、一つの連続体なのです。

ある意識レベルから見れば、自分と世界の変化がシンクロしている、とも言えますが、もっとも深いレベルから見ると「ただ変化だけがある」わけです。

自分が自分の意思と自分の力でこの世界の中を生きている、と考えてしまうと、生きていることはなんだか大変なことになってしまいますが、自分とまわりの世界は一つの大きな有機体なのだ、ということを思い出すと、人生をコントロールしようとする力が抜け落ちて、ずいぶん楽になってきます。

流れと一つになる、というよりも、自分が流れそのものなのだ、ということを思い出すのです。


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[ 2011/09/01 22:03 ] プロセス(日々の体験) | TB(-) | CM(-)

死の恐怖を克服する~編み目細工の人形

最近よく浮かんでくるイメージ。

まず、針金で出来た魚焼きの網みたいなものを想像してみて下さい。テニスやバドミントンのラケットに張っているネットが細い針金になっているような感じです。

その網を立体的に加工して、人形を作ってみたところをイメージして下さい。そしてその網で作った人形を海の底に沈めます。

私たち一人一人がその網で出来た人形です。海の底をいくつもの人形が動きまわっています。

大きな人形もいれば、小さな人形もいます。スマートな人形もいれば、そうでない人形もいます。

私たちはその網で出来た人形をよりよいものにしようとして一所懸命になっています。

でも、こんなふうに想像してみて下さい。「私」というのはその人形のことではなくて、海の水そのもののことなんだ、と。

人形は水を通す網で出来ていますから、人形がここから向こうへ移動しても海の水には何の影響も与えません。

そもそも「私」というのは海の水そのものなのですから、人形がどこにいようが「私」はいつでもどこにでもいます。

人形がやがて錆び付いて海水に溶けてなくなったとしても、「私」には何の変化もありません。

目覚めるということ、本当の意味で癒されるということは、人形をいかによいものにするか、ということではなくて、海の水そのものが「私」なのだ、ということを思い出すことです。

すると、通常の意味での死というものは存在しないことがわかります。

死の恐怖を克服しようとするのは、人形(エゴ)の視点からみた思考です。

死の恐怖がなくなれば、すべての恐怖は消えてしまいます。


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[ 2011/09/04 22:40 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

宇宙として眠る

夜寝るときにできる簡単な瞑想法。(私はこんな簡単な、なまけもの向けの瞑想法が大好きです)

夜寝るとき、布団に横になったときに、自分が宇宙そのもの、宇宙全体になったことをイメージしながら眠りにつきます。それだけです。

これだけではよくわからない、という方は、自分の身体がどんどん広がっていって、日本全体、地球全体、そして宇宙全体にまで広がるのをイメージしてみて下さい。

それもうまくできない、という方は、「宇宙として眠る」と心の中でつぶやきながら寝てみましょう。

この瞑想がうまくできてもできなくても、あなたはそもそもの初めから、宇宙そのものなのです。何も心配はいりません。


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[ 2011/09/06 23:30 ] エクササイズ | TB(-) | CM(-)

聖なる儀式が始まる

今朝、面白い夢を見ました。

実はこの数日間、この夢とつながっていると思われる興味深いプロセスがあったのですが、それはまた時間があればあとで書くことにして、夢だけをご紹介してみます。

どこか知らない部屋の中にいる。スピリチュアルなマスターやシャーマンのような人たちが何人もいて、私のために聖なる儀式が始まるようだ。

音楽が流れ始め、私を含めたそこにいる人たちが丸く輪になって歩きながら何かの歌を歌う。初めは知らない歌だと思っていたけれど、やがてどこかで聞いたことがあることに気づき、うろ覚えながらその歌を一緒に歌いながら輪になって歩き続ける。

場面が変わり、誰かが私の目をのぞき込みながら次のような意味のことを言った。

「もうエゴに捕われなくても大丈夫」
「もう『自分』にこだわらなくても大丈夫」



目がさめて、とてもほっとする感覚がありました。

最近、これまでに体験したことのないような身体的な変調がいろいろ起こっていて、それがこの数日ピークに達していたのですが、そのエネルギーが急に抜けていったような感じがしているところです。

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次回の新大阪でのお話会は9月14日(水)午後7時からです。定員まであと、2、3名です。お気軽にご参加下さい。詳細は下記のページをご覧下さい。

・お話会のご案内
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/shinsaku/grouposaka/index.html

次回の新大阪での個人セッションは明日9月13日(火)からです。今週は少しご予約が多くなっています。セッションご希望の方は早めのご予約をお願い致します。

ブログの「カテゴリー」を決めるのはなかなか難しいですね。最近ずっと「未分類」のままになっているのは、これまでの記事も含めて内容で分類してみようかと考えていたのですが、なかなかできそうもありません。いっそのことカテゴリーは一つだけにしたほうがいいのかな、、、。

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[ 2011/09/12 11:45 ] | TB(-) | CM(-)

病院が嫌い

前回書いた印象的な夢へと続いていった最近のプロセスについて書いてみましょう。書き始めてみたらずいぶん長くなってきたので、2、3回のシリーズになる予定です。(^_^)

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一月ほど前にすごく眠い時期が続き、それが終わったあとは「何かをしなければいけない」という気持ちがとても小さくなっていました。いつもは暇な時間ができると、本を読んだり、原稿の下書きをしたりするのですが、先週境港の自宅にいた間は、ほとんど本も読まず、することのないときはぼーっとしていたり、温泉に出かけたりして過ごしていました。

何もしていなくても安心な感じが深まっていました。

一方で、少し前からいくつかの微妙な身体の不調を感じていました。一つは、寝起きに目に違和感を感じること。なんとなく目がごろごろして、いつまでも目がかすんでいるような感覚がありました。

もう一つは、以前にも少し書いた四十肩?の症状が再び悪化している感じがありました。「以前」というのがいつだったのか、過去の文章を調べてみると、これが2009年なのですね。そんなに前だったのか、とちょっと驚きました。「四十肩とインナーチャイルド」

前回は左の肩に痛みがあったのですが、今回は肩というよりは腕(上腕部)に痛みが出て、しかも日常の何気ない動作のときまで痛みを感じるので、これはちょっと困ったなあ、と思っていたのです。

とはいえ、私は病院があまり好きではありません。以前、肩が痛くなったときも自分で体操したりして、そのうち痛みはなくなったので病院には行かずじまいでした。

目のほうも、数年前までは市の健康診断を受ける時期に、行きつけの眼科で目の健康診断も一緒にしてもらっていたのに、この2、3年はすっかりさぼっていました。

少し前の私だったら、病院には行きたくないし、また前のように体操をしていれば痛みもいずれはおさまるだろうし、目の違和感も寝起きのときだけだし、、、とあれこれ理由をつけてそのままにしていたかもしれません。

そんな私が、先週の土曜日、ちょうど何の予定も入っていなかったので、午前中に眼科、午後に外科と、病院のはしごをしてしまったのです。病院嫌いな自分がこんなことをしようと思うこと自体がちょっとびっくりでした。


診断の結果、目のほうは「ドライアイ気味」ということで、特に心配することは何もない。目薬が欲しければ出すけれど、特に必要ないだろう。ただ、近視の度が強いので、これからは緑内障に気をつける必要があるから、できるだけ年に一度は目の検診を受けて下さい、ということでした。

肩と腕の痛みはまさしく四十肩。注射で痛みを一時的に抑えるので、できるだけ肩を動かすように、ということで効果的な体操の仕方を教えてもらいました。

結果として、病院に行ったおかげで不安も消えて、肩と腕の痛みもずいぶん小さくなりました。なんだか、エネルギーが流れた感じがしました。

そもそも、いつも書いているように、心が静かになって落ち着いてきたことで、それを受け止める余裕ができたからこそ不調が意識に上ってきたということだと思うのです。

そして、不調は不調としてきちんと認識して、適切に対処することで小さくなっていく。つまり、その不調として表現されているエネルギーをありのままに認め感じることで、流れがよくなり、身体の不調という形で存在を主張する必要がなくなってくるのでしょう。

とはいえ、少しずつ年齢を重ねてくると、身体の問題から完全に解放されることは難しくなってきます。すべての病気が完治するものではないことも確かです。何しろ肉体の死はだれも避けようがありません。

本当の治癒、本当の癒しというのは、身体の問題がなくなることではなくて、その身体=自分である、という夢から醒めることなのです。身体の不調はそのことを思い出す大切なきっかけになるでしょう。


それと、今回もう一つ思ったことは、それほど病院を嫌わなくてもいいのかな、ということでした。これは私にとってはかなり画期的な気づきです。(^_^)

西洋医学には多くの場合、とても大切な視点(人間が全体的な存在であること、いわゆるスピリチュアルな視点)が抜け落ちています。でも、部分的には大切な真実(因果論にもとづいた病気に対する知識や薬に関する情報)もあって、それらを否定してしまうのは、すべてが大いなるものの一部であるという視点とも矛盾するなあ、と思ったのです。「すべてに守られているという感覚」

まあ、そう思ったのは、病院から帰ってきたあとですが、、、。(^_^;)

ともあれ、もっと気楽になってもいい、というか、もっと気楽になれるんだな、というのが、また一つ気づいたことではあります。

そうそう、悟りや目覚めということに関してちょっと真剣になりすぎていた、という感じでしょうか。


さてさて、前回書いた夢につながるまでには、もう少し面白い?事件がありました。長くなってきたので、それはまた次回に。

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関連記事

不安や怖れを探求の材料にする(2010/08/22)
すべてに守られているという感覚(2010/07/28)

本家サイトから
四十肩とインナーチャイルド(2009/07/04)

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[ 2011/09/14 16:32 ] プロセス(日々の体験) | TB(-) | CM(-)

四十肩と怒り

前回の病院が嫌いの続きです。

病院で教わった肩と腕の体操をしていると、肩や腕だけではなくて、身体全体がボキボキいって、身体のとても深い部分からゆるんでくる感覚がありました。

四十肩とインナーチャイルドの中でも書いていますが、背中の上から首にかけての部分は数年前までは私の身体の中ではブラックホールのような部分になっていて、そこだけはまったく意識が向かない、というか、感じようとしても何もない感じがあったのです。

ところが、2、3年前からその部分がゆるみ始めていて、今回教わった体操を一所懸命にやっていると、さらにその感覚がどんどん深まっていきました。背骨に添った部分が音を立てて、何かが流れていくと同時に深い呼吸が自然に起こるような感覚もあります。閉じ込められていた大きなエネルギーが流れ出した感じでしょうか。

そして、その日(2つの病院をはしごした日)の夜、妻と外食に出かけたときに事件は起こりました。

出された食事の中に本来入っていてはいけない異物(ビニール袋の切れ端)が入っていました。知らずに口の中にいれてから気がつきました。


そのときに、私は10数年前に起こった同じような出来事を思い出していました。

その頃、自分の中の怒りが浄化されるプロセスが激しく進んでいて、なぜか怒りを引き出されるような体験が何度も起こっていました。

携帯でメールしながら自転車に乗っている人にぶつかりそうになって大声で怒鳴ったり、レストランであまりにも食事が出てくるのが遅くて店員に怒ったり。そもそも、怒りを外に向かって表現すること自体ほとんどしたことのない私がそんなふうに知らない人に向かって怒りをぶつけるなんて、自分でも不思議に思うような出来事が何度も続きました。その極めつけが「針金冷麺事件」です。

中華料理屋さんで冷麺(冷やし中華)を頼んだら、その中に針金が入っていたのです。口の中の異物が細い金属製の針金だと気づいたときには、私の怒りはマックスに達していて、もうほとんどわけがわからなくなってしまい、お店の人を自分でも信じられないような口調で怒鳴りつけていたのを思い出します。

でも、この頃の一連の出来事を通して、自分がどれほど怒りを押さえ込んでいたのかということを実感として理解し、その怒りを自分の本来の積極的に生きるエネルギーとしてかなり統合していくことが出来たような感じがします。


そんなことを思い出しながら、今回の出来事です。心のどこかで「お、またあのときの感覚と同じだぞ」と思いながらも「でも、ここはきちんと落ち着いて主張するべきことは主張しないといけないな」なんて考えていました。つまるところ、10年前よりはずいぶん余裕がありました。

こういう出来事が起こるというのは、何かまだ十分に意識されていないものが無意識の領域から浮上してきているのだから、そのエネルギーに対して意識的になることが大切だということが、それが起こっている瞬間に感じられるほどに意識的でいられる自分がいました。10年間というのは長いですね。

以前のように無意識になって怒鳴りつける、というようなこともなく、でも怒っているということは十分適切に伝えられた感じもあって、家に帰った頃にはすっかりそのことは忘れてしまっていました。妻に言われて初めて思い出したくらいですから。


激しい感情が起こっているときに、そのまっただ中で意識的にいることで、その感情はさらに深く浄化され、統合されていきます。それは最初は難しいかもしれませんが、とても大切なことなんだ、ということをあらためて実感しました。

とはいえ、次の日、やっぱり無意識に引きずられてしまうこともあるな、と感じるような、ちょっとヒヤヒヤものの出来事もあったのです。事故にならなくてよかったです。

もう一回だけ続きます。


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[ 2011/09/17 08:11 ] プロセス(日々の体験) | TB(-) | CM(-)

大きなエネルギーが動くとき

前回の四十肩と怒りの続きです。

10年前に境港に引っ越してから、長いことペーパードライバーだった私は久しぶりに日常的に車を運転するようになりました。とはいえ、家にいるのは毎月半分ですし、出かけるのも片道2、3分の近所のショッピングセンターだけの日もあったりして、ほとんどサンデードライバーのようなものだったりします。

なので、何年たっても車の運転には慣れずに、特に車線変更するのが最近まで怖い感じがあったのです。頻繁に車線変更しながら追い越しを繰り返していく車があると「そんなに急いでどこにいくのかな」と、なかば馬鹿にしたように気持ちで見ていました。

ところがこの数ヶ月、やけにスピード出すようになったなあ、と自分の運転を眺めていました。幹線道路で車線変更するのもすっかり平気になってしまい、以前は馬鹿にしていたような運転を自分がしているのに気づいて、ハッとしたりしました。

人を見てそれを批判したくなるのは、自分の中にあるそういう部分を批判していたのだな、ということにやっと気づきました。見ているものはすべて自分だ、と人にはいいながら、自分のことになるとなかなか気づけないものですね。

そのことに気づいてから、意識的にそういう運転(車線変更を繰り返しながら追い越していく)をやってみると、そういうことをしたかった自分に気づきました。人より先にどんどん進んでいきたかったのですね。それがわかったときには、エネルギーが流れたような、自分を許せたような、少し楽な気分を感じました。

ところが、2、3週間前に、夜の幹線道路で、周囲にまったく車がいないと思って、あまり後ろをしっかり確認せずに何げなく車線変更したら、すぐ後ろに車がいてヒヤリとするようなことがあって、これはちょっと気をつけないといけないな、という気持ちが大きくなっていました。


そして、前回の話の続きになります。

食事にビニールの切れ端が入っていたことをきっかけに内面の怒りをより深く自覚し統合した感覚があった翌日のことです。休日で混雑しているショッピングセンターの駐車場で、後で思えば、どうしてあんなにスピードを出してしまったんだろうと思うくらい無意識にスピードを上げてしまい、駐車スペースから動き出した車とぶつかりそうになって、急ブレーキをかけてしまいました。相手の車が気づかなかったら衝突していたと思います。

普段、特に混雑しているところでは慎重すぎるくらいの運転をする私にしては珍しいことで、自分でもびっくりです。

そのときは一人だったのですが、その後妻を乗せたときに、さっきのことがあってとても気をつけて運転していたつもりだったのに「ちょっと運転が乱暴ね」と言われたときには、ショックを受けてしまいました。


家に帰ってこの出来事を振り返っていると、15年以上前に自分自身がセラピーを頻繁に受けていた頃の印象的な出来事を思い出しました。

ブレスワークを受けた翌日、会社で上司と話をしていたときのことです。詳しい内容は忘れてしまったのですが、会社の仕事についてのある出来事に関して感想を聞かれたときに、ものすごく正直に、でもその場(会社での上司との話という状況の中)でそれを言ってはちょっとまずいだろう、というようなことをポロッと言ってしまったのです。

普段の自分がそんなことを正直に言う、ということはないことだったので、自分でも驚いて、ヒヤリとしたことを覚えています。ブレスワークを受けたことで無意識に抑えていたエネルギーが流れ出していたのでしょう。


無意識に閉じ込めていたエネルギーが動き出すことで、生きる感覚が変わっていき、さらには人生そのものを超えていく道が開けてくることは確かです。しかし、無意識の力は想像をはるかに越えた大きなものでもあります。

あまりにも急激な変化、特に自分や他者を物理的に傷つけてしまうようなことはできれば避けたいものです。(もちろん、実際にそうなってしまうときには、宇宙の流れの一部として避けがたいものなのかもしれませんが)

内的な探求のプロセスの中で特に大きな変化を体験する時期には、自分の内側で起こっていることに出来るだけ意識的になっておくことがとても大切だということをあらためて感じている今日この頃です。

最初に書いた印象的な夢を見たのは、この事故を起こしそうになった翌日のことでした。


このシリーズは今回で終わりのつもりでしたが、そのあとまた不思議な出来事が続いて起こったので、もう1回書くかもしれません。

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[ 2011/09/23 12:25 ] プロセス(日々の体験) | TB(-) | CM(-)

事故の衝撃

前回の大きなエネルギーが動くときの続きです。

簡単に書こうと思っていたこのシリーズは思いがけずずいぶん長くなってしまいました。時間軸を整理してみると、突然病院に行こうと思いたって病院のはしごをしたのが9月11日(土)、事故になりそうなヒヤリとする体験をしたのが翌日12日(日)、そしてこのシリーズを書くきっかけになった印象的な夢を見たのがそのまた翌日13日(月)の朝です。

14日(火)から始まった大阪のセッションでは、初めてセッションを受ける方が5名もおられて、とても忙しい一週間となり、また新しい何かが動き始めている感じがしていました。そして、その週の終わりにまた印象的な出来事がありました。


私は、これまでの人生の中で交通事故の瞬間を直接目撃したという経験がありません。直後の様子を見たのも、両手の指でも十分数えられるくらいだと思います。

それが、先週の月曜と火曜(19、20日)の2日連続して、朝起きて新大阪のマンションから外に出てみると、今まさに起こったばかりの事故に出くわしてしまったのです。

一日目はまさにマンションの目の前の歩道に車が乗り上げ、街灯の柱に突っ込んでいました。幸い運転手を含めてけが人はなかったようですが、歩道においてあった自転車が大きく曲がっていました。ちょうどパトカーが到着しようとしていました。

二日目はマンションの前の交差点でバイクと自転車の事故があったようで、こちらもちょうど救急車が到着し自転車の負傷者を救護し始めたところでした。

一日目のときは「私も最近ヒヤリとすることが多いので気をつけないと」と思ったのですが、さすがに二日目のときにはうまく言葉では表現できない不思議な感覚に襲われました。

火曜日に大阪から境港の自宅に戻って、一週間ぶりに車に乗ったのですが、以前のようにどんどん先に行きたい気持ち、スピードを出したい気持ちがあまりなくなっていることに気づきました。走行車線で遅い車の後ろについていても、すぐに追い越さないと、という気持ちがなくなっていたのです。なんだかちょっと不思議です。

外の世界での事故という形で私の内面の何かが消化されたのでしょうか。

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ところで、先日書いた冷麺の中の針金はいったいなんだったのですか?という質問がありました。当時お店の人に聞いたところでは、麺をお湯からあげて水を通して冷やすステンレス製の網の一部が切れていたものだったようです。

しばらくして久しぶりにその店に行ってみると、厨房の壁に掛かっている調理器具がみな新品に代わっていました。

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[ 2011/09/25 09:08 ] プロセス(日々の体験) | TB(-) | CM(-)
プロフィール

中野真作

Author:中野真作
スピリチュアルセラピスト。1997年からヒーリング&カウンセリングルーム「スペースまほろば」主宰。悟り・非二元の視点から人生のあらゆる苦しみを手放すお手伝いをしています。
スカイプセッションと境港での対面セッションは随時、東京・大阪での出張個人セッションやお話会も定期的に行っています。セッションの詳細につきましては、スペースまほろばをご覧下さい。

「悟り(非二元)と癒しのお話」youtubeで配信中

中野真作の悟り(非二元)と癒しのお話シリーズ第一回「悟りの本質〜すべては自然に起こっている」。その他の動画はyoutubeのスペースまほろばチャンネルをご覧下さい。
東京・大阪・福岡出張個人セッション
■東京出張個人セッション
2023年5月23日(火)〜25日(木)
■福岡出張個人セッション
2023年6月5日(月),6日(火)
■大阪出張個人セッション
2023年6月26日(月)〜29日(木)
オンラインでのセッションは随時ご予約をお受けしています。予約状況はこちらから。
中野真作の癒しと目覚めのお話会スケジュール
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