目覚めに向かう道の中では、感情は自分ではない、ということに気づく段階があります。ブログで以前ご紹介した
「『私』とは誰か」のエクササイズはそれに気づくための基本的なもので、
お話会でもみなさんと一緒にやることがよくあります。
しかし一方で、感情が自分ではないと本当に気づくためには、まず一度感情を自分自身のものだとエネルギーレベルで実感するプロセスが必要です。そのプロセスを経ないで、それらが自分のものではないといくら自分に言い聞かせても、それは感情の抑圧につながってしまいます。
このことは私自身の体験からもよくわかっていたつもりだったのに、最近の自分自身の変化のプロセスを見ていると、もっと強調されるべき事柄かもしれないない、と思うようになりました。
昨年の親知らず抜歯事件?からの1年間で私の気づきは急激に深まったような感じがしていて、このブログでも書いていたように、すべては本来的には空(くう)であること、個人的なものは何もないこと、誰かが何かをしているわけではなくすべてはただ起こっていること、などといったような表現で言い表せるような感覚が深く実感されるようになってきました。
すると、これも理論的にはわかっていたつもりだったのですが、そこまでわかってきて初めて実感できる心の痛み、抑圧していた感情が溢れるように意識に上って来て、とっても不思議な感じがしているのです。
私は子どもの頃に親の愛情というものをまったく実感したことがなく、そのことに強い絶望感を感じていたのだな、と思います。子ども時代にまったく子どもでいることができなかった。
今そのことに関連する感情を意識的に感じようとすると、人生で取り返しのつかないことをしてしまったとでもいうような、身体がよじれていくような苦しみとともにとめどなく涙がこぼれてきます。
これらの感情はあまりにも強烈で生々しすぎて、感情そのものの空性にある程度気づいてからでないと、心の奥から浮上してくることすらできなかったのではないかと思います。
20数年前に初めて
ブレスワークをしたときからずいぶん涙を流してきたのに、まだこれほどの感情のエネルギーがあったのか、という思いです。
でも、不思議なことに、こうして取り返しがつかないと感じるほどの痛みをありのまま感じ、涙を流す事で、その「取り返しがつかない感じ」は消えてしまうのです。どれほど恐れている感情であったとしても、本当の問題はその感情の中身ではなくて、それを恐れて感じないようにしていること、つまり、本当の自分自身を否定してしまっていることのなのです。
どれほど認めることが怖かった感情であったとしても、それを本当に自分が感じた感情としてありのままに感じとり認めると、手放すことができるのです。そして、心はさらに静まり、今ここにいる感覚が深まってきます。
道を求めている方の多くは、感情は本当の自分ではないと気づく前に、まず感情を取り戻す必要があります。逆説的にいえば、強く道を求めているということ自体、自分の中の何かに抵抗しているということのあらわれなのかもしれません。
自分の中にあるものすべてをありのままに認めることができるようになると、目覚めること、悟ることも含めて、何かを求めるということがなくなってきます。そして、自分はいつも正しい道の上にいたのだと気づきます。
今後のお話会では私の体験もおりまぜながら、こんなことについてもお話したいと思っています。
新大阪では日曜日午後にもお話会を始めます。これまでは平日夜で参加できなかった方のご参加もお待ちしています。
今後の予定は次の通りです。
11月23日(水・祝)19時~21時、参加費3,000円
27日(日)14時~17時、 参加費5,000円
詳しくは
「お話会のご案内」をご覧下さい。
http://www.amy.hi-ho.ne.jp/shinsaku/grouposaka/index.html心の癒しと意識の目覚めをサポートするカウンセリング/セラピーの情報は
「スペースまほろば」をご覧下さい。
電話・スカイプでのセッションも行っています。
ご感想などは
shinsaku@mahoroba.ne.jpまでお願い致します。
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