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心の癒しと意識の目覚めのために

スペースまほろば別館 本当の自分を知り、楽に生きるためのヒント 自己実現、悟り、アドヴァイタ、非二元、瞑想、プロセスワーク、スピリチュアル、アダルトチルドレンetc...

(あらためて)感情を解放することの大切さについて

「わたしは時折、直接的な非二元のアプローチを通して苦しみから解放されようとする人たちと出会うことがあるが、彼らはいつもマインドの中で行き詰まっているように見受けられる。彼ら自身の感情や気持ちに彼らを実際に再びつなげることができる実践的な師と、一、二年は取り組んで過ごす方が懸命ではないかと思えるときがある。感情から解放されるには、ときには、強烈な感情を実際に表現するカタルシスは必要だ。」ジム・ドリーヴァー



以前からホームページやブログの中で感情、特に怒りや悲しみなどの否定的な感情に気づき、それらを解放することの大切さについて書いてきました。でも、それほど否定的なエネルギーにばかり焦点を当てなくてもいいのではないか、と考えていた時期もあるのです。

スピリチュアルな考え方の中には、意識を向けるものが実現される、というような考え方もありますから、否定的なものばかりに意識を向けるということは、そのエネルギーをさらに大きくしてしまう、と考えられなくもないでしょう。


もう10年近く前になりますが、ある方と話をしていて、次のようなことを言われたことがあるのを思い出しました。(正確な言葉は覚えていないので、細かい表現は違うかもしれません)

「中野さんのセラピーは怒りや悲しみなどに焦点を当て過ぎている。もっと光の部分だけに意識を向けるようにしたほうがいい。」

そう言われて、一時は「そうかもしれないな。セラピーの方向性を考え直したほうがいいのだろうか」と悩みました。でも今はそんなふうには思っていません。抑圧している怒りや悲しみに意識を向けていくことは、目覚めのプロセスの中ではとても大切なステップなのです。


私のセラピーはいわゆる「非二元的な考え方」にもとづいています。非二元的な考え方というのは、例えば、「すべては一つ」「すべてのことは自然に起こっている」「行為はあっても行為する人はいない」といったような表現で表されるものの見方です。

このような視点で世界を見ることができるようになったとき、本当の意味での癒し=全体とつながる感覚を感じることができ、生きることの苦しみから解放されます。この視点を獲得するまでは「ありのまま」という言葉の本当の意味も理解できません。


しかし、この非二元的な考え方を知的に受け入れ、さらにはある程度直感的に理解している人であっても、その感覚に安定していることは難しいようです。

一つには、自分が行為者であるという感覚、いわゆる「エゴ」の感覚はあまりにも深く根付いているので、本当はそうではない(行為する人は存在せず、行為が起こっているだけ)ということを直接的な体験として経験したあとでも、古い認識パターンに引き戻される、ということがどうしても起こるのです。


もう一つの要因は、目覚めの体験を、本当の自分を避けるために使ってしまうということです。

多くの人は子供時代に心の痛みを体験し、それに触れることを避けるために心と身体を緊張させています。

本当はその緊張感こそが周囲の世界から切り離された「自分」という感覚そのものなので、その痛みを十分に体験し、癒していくことで、自分が行為者であるという感覚、自分=エゴであるという思い込みから抜け出していくことができるのに、その痛みに触れるときに感じる一時的な苦しみを避けるために目覚めの体験を利用する、ということが起こるのです。「自分は目覚めの体験をして真実を知ったので、もう何も問題はないのだ」というように。

しかし、実際に起こっていることは、「自分は目覚めている」という考えに執着しているだけで、やがて自分が考えている目覚めの定義に反するような感情を体験したり、行為をしたりしている自分に気づいて、がっかりしてしまいます。

自分は目覚めているという考えを信じ込むことで、まだ未解決になっている感情的な問題を避けようとしてしまうわけです。「自分は目覚めている」というのもやってきては去っていく一つの思考にすぎないのに。

この段階では、アジャシャンティが「根本的な正直さ」と表現しているものがとても大切になります。自分の心の奥にあるすべての感情、すべての要素を、正直に、ありのままに認めていくことが必要なのです。


実際には「否定的な感情」などというものは存在していません。ただ一つのエネルギーの動きがあるだけです。問題は、ある感情はよい感情、ある感情はよくない感情と判断することそれ自体にあるのです。

自分の感情を抑圧しているということは、ある感情をよくない感情だと判断しているということです。セラピーの中で、怒りや悲しみにばかり焦点を当てているように見えるのは、多くの人にとっては、まず閉じ込めてしまっている怒りや悲しみに意識の光を当てていく必要があるからなのです。

光を当てていく、というのは、よい悪いという判断をせずに、ただ感情のエネルギーを感じ取っていく、ということです。

ところが、あまりにも抑圧が強い方にとっては、ただ感じるということはとても難しく、どういう感覚なのかがなかなかわからないことがあります。そういう方にとっては、泣いたり大きな声を出したり、というような激しい形の感情の解放(カタルシス)は、目覚めが深まっていくステップの一つとしてどうしても必要です。


ただし、このカタルシスの体験はとても気持ちがいいので、その体験に執着してしまう、ということも起こりがちです。

ある程度のカタルシスを体験したあとは、感情を外に吐き出すのではなくて、自分の内側でエネルギーそのものとして感じ取る、ということが必要になる時期がやってきます。

あらゆる感情を感じるままに、起こっているままに感じることが出来るようになってきたとき、感情そのもの(意識の対象物)から、それを感じている私(主体)へと意識の焦点が移ってきます。

感情が生まれてきては消えていくのを見ている私、思考が生まれてきては消えていくのを見ている私、その私を意識できるようになってきたとき、個別の私という感覚は自然と緩んできます。

私という視点が緩んできたときに初めて、よい悪いを超えて世界をありのままに見ることができるようになってくるのです。


怒りも悲しみも光の一部であることがわかります。

非二元、ワンネスという言葉の意味が理解されます。

理解する人は存在せず、理解だけがあります。

大いなるものが、大いなるものを自身を理解します。

ただ、それ、だけが存在しています。

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次回のアジャシャンティ勉強会(読書会)は10月8日(月・祝)14時からです。今回の記事の内容についても詳しくお話できると思います。このブログに興味をお持ちの方はお気軽にご参加下さい。

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感情の解放を必要としておられる方はブレスワークなどのセラピーをお勧めします。下記のリンクもご覧下さい。

ブレスワークのご案内
ブレスワークを受けた方のご感想
スペースまほろばQ&A ブレスワーク
セラピスト中野のブレスワーク体験記
Breath Therapy Report(by匿名希望さん)

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最後まで読んで下さってありがとうございます。覚醒、悟り、真の癒しのプロセスについてのご相談はスカイプ・電話カウンセリングをご利用下さい。新大阪と境港ではブレスワークヒプノセラピーなどの対面セッションも行っています。詳しくは「スペースまほろば」もご覧下さい。お問い合わせはshinsaku@mahoroba.ne.jp中野までお願い致します。
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[ 2012/10/05 22:25 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

目覚めると夢を見なくなる?

昨日、ジーン・クライン(Jean klein)の"I AM"を読んでいたら、かなり気になる文章を見つけました。「自分=意識であるということを理解してくると、(夜寝ているときに見る)夢をみなくなる」というようなことが書かれているのです。

アーノルド・ミンデルは「目覚めが深まってくると(という表現ではないのですが、ドリーミングと繋がってくると、だったかな?)夢を見なくなるわけではなく、夢がより鮮明になってくる」と書いていたのを思い出しました。

このミンデルの文章を読んだとき、私は少し違和感を感じたんですよね。私自身もすごく鮮明な夢をよく見ていたのですが、こんなふうに鮮明な夢を見るのは、目覚めのプロセスの中での一時的なことなのではないか、という気がしていたのです。

最近は以前ほど大きな夢(印象の強い夢、集合無意識と繋がるような夢)を見ることは減ってきていたのですが、一週間くらい前にとても強烈な夢を見て、まだ残っていた古い痛みのような感覚を久しぶりに感じる感覚がありました。それから、また急激に何かが変化するような感覚があったのです。そのあとに、最初に書いたジーンクラインの文章を読んで、妙に納得しました。

ジーン・クラインも夢をまったく見なくなると書いているわけではなくて、上記の文章のあとには「夢を見てもそれに巻き込まれなくなる」とも書いています。これは、いわゆる「現実の世界」をどのように認識するのか、ということと関連がありそうです。

私たちは、今生きているこの目に見える世界を唯一リアルな現実のように錯覚して生きています。夢を本当の現実だと思い込んで生きているわけです。そこになんらかの意識の変容、認識の変化が起こってくると、この世界は唯一リアルな世界ではなく、リアルであると同時に夢のようなものなのだ、ということがわかってきます。

世界という夢、自分という夢から覚めてくるわけです。

夢とわかった上でこの世界を生きる、あるいは、夢を見ないでこの世界を生きる、というような状態に移行してくる、と言ってもいいでしょう。たぶん、その移行と平行して、夜見る夢にも巻き込まれなくなり、やがてあまり夢を見ることがなくなってくるのではないかと思います。

もう少し別の視点から見ると、夜見る夢というのは、昼間十分に生きられなかったエネルギーを解放し、消化しているものです。昼間、目覚めた状態で生きることで、瞬間瞬間を完全に生きることができると、夜に持ち越すエネルギーがなくなるのだと思います。すると、夜夢をみる必要がなくなるのでしょう。

昼間見ている夢から覚めることができると、夜の夢からも覚めていくのかもしれません。

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Jean Kleinはエックハルト・トールと並んで、私の二大師匠(^_^)と言ってもいいくらい影響を受けています。残念ながらまだ日本語訳はありません。英語は簡単ですから、興味のある方はチャレンジしてみて下さい。ただ、表現がちょっと独特で、最初はとまどうかもしれません。

Jean Kleinを初めて読んでみようと思われる方には"Who am I"をお勧めします。


今日の記事でご紹介した"I AM"です。


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Jean klein は、フランス語を母語とする方のようで、Youtubeなどでビデオを見るとフランス語読みのジャン・クラインという発音がより近いようですが、ここではステファン・ボディアンの「過去にも未来にもとらわれない生き方」の中で使われている「ジーン・クライン」という表記を使うことにします。

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[ 2012/10/07 22:34 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

私がいないとき私はいる

月曜日のアジャシャンティ勉強会(読書会)に参加して下さった皆様、ありがとうございました。今回はスケジュールを組んだときから懸念していたように、3連休の最終日で予定が合わずに参加を断念した方もおられたようですが、質疑応答、フリートーク、瞑想、それぞれに十分時間が取れて、少人数のグループならではの深い時間が過ごせたように思います。

次回の勉強会は11月4日(日)14時からです。ぼちぼち参加のご希望をいただいています。参加ご希望の方はお早めにご連絡下さい。

その前に、来週10月17日(水)19時からはお話会(フリートーク)の会を行います。このブログに興味をお持ちの方はお気軽にご参加下さい。

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「『私』という感覚が緩んでくる」という表現が好きで、このブログの中でもよく使っています。でも、とっても不思議なのですが、同時に「私」がしっかりしてくるような感覚もあるのです。

私は若いころからある種のノイローゼというか、神経症的な部分がとても強くてずいぶん苦しんできました。人格が成長していくのに必要な情緒的な関わりをほとんど経験したことがなかったのです。

そんな中で突然の目覚めの体験が起こり、それをうまく統合することができなかったのだと思います。統合するべき主体となる「私」があまりにも不安定だったのです。

もちろん、目覚めの体験を統合する、ということも、統合する主体となる私、というのも、どれも夢の中の出来事、夢の中の登場人物ではあるのですが、それが夢だとわかっていない段階では、目覚めへと向かう仮のステップとしてはとても大切なもののようです。

私のこの20年余りのプロセスの中では、大いなるものを思い出す作業と、個としての私を確立するために人との情緒的な関わりを取り戻す作業が、同時に並行して行われてきました。伝統的な悟りへのプロセスではまず自我を確立しそのあとに自我を超えていくという形で進んでいく2つのプロセスを、同時に進めていく必要があったのです。すると、その結果、言葉で表現するととても矛盾しているように見えますが、私という感覚が緩めば緩むほど、私がとてもしっかりしてくるような感じがするのです。

神経症的な、小さく収縮した自我が一度死に、その後にもっと自由な新しい自我が生まれて来ます。でも、新しい自分がしっかりと確立されてきたとき、同時にその自分は夢のようなもの、なんら個人的なものではないとすでにわかっているのです。

よく「エゴの消滅」とか「私がいなくなる」あるいは、アジャシャンティの本のタイトルのように「私の世界の終わり」などという言葉がありますが、これは私という感覚がまったくなったり、ぼーっとした意識状態ですべてが自動的に起こっていくような状態のことを言っているわけではありません。私という感覚はしっかりとあるし、私が自覚的に何かをやっているという感覚もあります。ただ、私に起こっているすべてのことがなんら個人的なものではない、ということがわかるだけなのです。雨が降ったり、お天気になったりするのとまったく同じように、自分の中で何かの思考や感情が生まれ、何かの行為が起こるのです。

そのとき、エゴ=私という感覚は、大いなるものがこの世界に自らを表現する出口、インターフェースのようなものになります。条件づけられ小さく縮こまっていた私が、大いなるものをこの世界に表現するというエゴの本来の役割に戻るのです。

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[ 2012/10/10 14:04 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

父の夢

前々回の記事で夢のことを書いたばかりですが(目覚めると夢を見なくなる?)、昨日久しぶりにとても印象的な夢を見ました。

父が寝ている。顔の部分に虫が何匹もはっていて、ちょっと様子が変だ。もう死んでいるのに、本人は気づいていないのかもしれない。

父がか細い声で息も絶え絶えにこんなことを言い始めた。「自分はプロセスを最後まで体験できなかったので、死のうにも死にきれない。」

その言葉を聞いて、私は次のようなことを父に話した。

「私はプロセスを最後まで体験して、最後まで体験しようがしまいがすべての人はもともと目覚めていることがわかった。最後まで体験しなかったと思っているお父さんももともと目覚めているのだから、安心して向こうの世界にいっても大丈夫だよ。」

父は私のこの言葉を聞いてとても安心したようだった。心置きなく向こうの世界へ旅立てそうな気がする。



先日父の七回忌があって、久しぶりに家族、親戚一同が会する機会がありました。そのときには取り立てて父のことを思い出したわけではなかったのですが、心の深い部分が揺り動かされる時間だったことは間違いありません。この夢はその影響もあったのでしょうか。

一つ不思議なことは、これほど印象深い夢を見たときには、これまでだといつも深い感動を伴うような、身体がジーンとするような感覚があったのに、今回はそういった感覚がほとんどありませんでした。

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私の父は祖父から自営業の会社を引き継ぎ、亡くなる直前まで現役で働き続けました。ただ、本心では大学に進んでエンジニアになりたかったようなのです。あまり自分のことを話す人ではなかったので、なんとなく会話の端々にそんな話を聞いたことがある、という程度なのですが。

ですから、私は長男であったにも関わらず、ずいぶん子供の頃から「店を継ぐ必要はないぞ」というようなことを聞かされていました。自分と同じ苦しみを味わわせたくなかったのかもしれません。

それから、これも、あまりしっかり本人から聞いたことはないのですが、父は死後の世界とか、ある種のオカルト的なものに密かに興味を持っていたようなのです。そういった関連のとても古い本が何冊か本棚にあったことを思い出します。

父もかつての私と同じように非常に神経質で、そのことで苦しんでいたのだな、と今になってやっとわかる気がします。その父が、私が中学か高校生くらいの頃だったでしょうか、茶の間の畳に横になって、小さな声で「苦しい〜、助けてくれ〜」とつぶやいていたことがあるのです。

今そのことを思い出してとても不思議なのは、私を含めて家族の誰もがその言葉に何も反応しなかったことです。いや、きっと反応しようにもどう反応していいのかわからなかったのでしょうね。家の中で自分の感情について話をするなどということはまったくなく、そのことがどれほど家庭としておかしいことなのか、ということがわかったのはそれから20年も30年も過ぎてからですから。

今思うと、そのときの父は何からの大きな内的変動を体験していたのではないかと思うのです。そのことを理解してくれる人が誰もいない状況でそういった体験をしていくことがどれほど苦しいことなのかは、今でこそよく理解できますが、まだ当時の私はそういった世界には踏み出していませんでした。あのときの「苦しい〜、助けてくれ〜」という言葉は、そういった状況から生まれてきた魂のギリギリの表現だったのではないかと思っています。

オカルト的なものへの興味は、目覚めや悟りの探求、世界のもっとも深いリアリティへの興味の、少し変形したあらわれです。若い頃から自分の本当の気持ちを閉じ込めざるを得なかったことで、自分でも気づかないうちに心の奥深くへとエネルギーが向き始めていたのでしょう。

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亡くなる2ヶ月前、最後に父に会ったとき、父はそれまで聞いたこともないようなことを私に言いました。正確な言葉は忘れてしまったのですが「自分は何か間違っていたのかもしれない」というような内容でした。

これも私の勝手な解釈にしか過ぎないのですが、死が間近に迫っていることを否応なしに実感したとき、父の内側で新しい次元が開き始めていたのではないかと思うのです。

そのとき、もっとそういったプロセスに付き合ってあげることができればよかったのですが、そのときの私にはまだそこまでの力がありませんでした。父と一緒にいること自体もまだ辛かったのです。

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現実の世界では、父は私に、自分が果たせなかった夢、つまり、大学に進学することや、親に押し付けられた商売をするのではなく自分の好きなことをすること、などを望んでいたわけですが、実際にはさらに意識の深い部分でも父と私のプロセスは繋がっていたような気がします。

道半ばになってしまった父の自己探求のプロセスを完了させていくという役目を私が引き継いだのかもしれないなと、今回の夢を見てあらためて思ったのでした。

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[ 2012/10/13 20:19 ] | TB(-) | CM(-)

何気ない思考に気づく

本当のあなたは、今あなたが考えている思考でもなく、今あなたがそれを通してこの文章を読んでいるその目、つまり、その身体でもなく、それらを包み込むもっと大きな存在です。そのことに気づくためは思考に気づくことが大切だ、ということがよく言われます。

私たちは思考によって自分自身を制限し、広大な自分という感覚を小さな枠の中に閉じ込めてしまい、自分で自分を苦しめています。

自分を苦しめるような思考が心に浮かんできたときに、それが単なる思考、単に心の中を流れているエネルギーの流れに過ぎないことに気づく、ということは、自分と世界の真実に気づいていくための大切なステップになります。

関連記事 自分に関する思い込みを手放すエクササイズ 苦しみの原因

でも、思考に気づく、ということの大切さは、それだけではありません。自分を苦しめるような思考に気づけるようになってきたら、もう少し微妙な思考に意識を向けるようにしてみましょう。

例えば、道を歩いているときに目に入ってくるいろんなものをしらないうちに、よい、悪い、と判断していないでしょうか。そうしている自分に気づいたら、そうやって判断していること自体を悪いことだと考えたりしないようにして、ただ判断しているということに気づいておきましょう。その微妙な判断の思考が自分を制限して苦しめている、ということをただ意識しておきます。


そして、さらに微妙な思考があります。

何かをやっているときに、そのときやっていることを無意識に心の中で実況中継していないでしょうか。「ああやって、こうやって、こうすれば、、、、」というように。そこに価値判断がまったく入っていなかったとしても、その思考の流れと一体化しているとき、あなたは今ここを微妙に避けています。ありのままを微妙に避けています。

何の思考もなく、何も考えない状態で、ただ身体を動かす、という状態があるのです。

車を運転しているときや、散歩やジョギングをしているときなどに、誰もがこの感覚を感じたことがあるはずです。それと同じ感覚で、日常生活のあらゆることを行うこともできる、ということを意識してみて下さい。


この感覚を実感できるようになると、さらに大切なことがわかってきます。

どんな行為も、どんな思考も、自分が行っている、自分が考えているのではなく、ただ身体が動いている、ただ考えが流れているだけなのです。何も考えずに身体を動かせるのと同じように、何も考えずに思考できるのです!言い換えれば、自分が考えることなく、思考が流れていくのを見ていることができるわけです。

すると、実は、どんな思考があるのかが問題なのではなく、どんなことを行っているかが問題なのではなく、その思考や行為と「自分」という感覚を結びつけることが苦しみを生み出している、ということが見えてきます。

そして、そうやって苦しみを生み出している「自分」というものそのものが、そもそも幻のようなもので、実体としては存在していないことに気づきます。

苦しみを生み出す、ということすら、ただ起こっているのです。

このことに気づいたとき、「苦しみ」は終わります。

自分という夢から目覚めて、思わず周囲をきょろきょろと見回してしまいます。「いったい、なんという夢を見ていたのか!(^_^)」と。

※この記事への補足です。→頭の中を流れる音楽

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次の文章も読んでみて下さい。

自分に関する思い込みを手放すエクササイズ
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-20.html

苦しみの原因
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-22.html


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[ 2012/10/15 13:41 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

エネルギーが変わるとき

またまた遅ればせながら、ですが、水曜日(10月17日)のお話会に参加して下さった皆様、ありがとうございました。今回は初めての方が2名参加して下さいました。また少しずつ私を通して発せられるエネルギーが変わってきているような気がしています。

不思議なことに、こんなときには個人セッションも初めての方からのご予約や問い合わせが増えてきたりします。すべては一つにつながっているのですね。

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先日ツイッターのつぶやきでも少し書きましたが、最近さらに気づきが深まってくる感覚があって、何かが終わっていくような、何かから抜け出していくような感じがしています。

それと同時に、もっと自分の言葉で直接話をする機会を増やしてみたい感じがしてきました。17日のお話会でも、以前より私が話す時間を意識的に増やしてみたのですが、自分の中でとてもしっくりくる感覚があったので、来月からお話会は「中野真作の癒しと目覚めのお話会」(仮)のようなタイトルに変えようかな、と思っているところです。

基本的にはこれまでと同じスタイルですが、私自身の言葉で話をする時間を少し増やし、それに加えて、質疑応答や参加者どうしのフリートーク、瞑想の時間なども取っていく、という形にしようかと思っています。次回のお話会は11月14日(水)19時からです。

また、日曜日のアジャシャンティ勉強会でも、私の言葉でお伝えする時間を増やしていくつもりです。

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なお、来月11月4日(日)14時からのアジャシャンティ勉強会には、東京でエックハルトトールの勉強会を行っている三森真人さんが参加して下さる予定です。どんなエネルギーの相互作用が起こるか、とても楽しみです。

また、翌日11月5日(月)には大阪で三森さん主催の勉強会も行われるようです。興味をお持ちの方は三森さんのブログをご覧下さい。

今この文章を書いていて初めて気づいたのですが、三森さんのお名前「真人」さんは私の名前「真作」となんだか似ていますね。どんなご縁があるのでしょうか。(^_^)

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次の文章も読んでみて下さい。私が過去のスペースまほろばの勉強会の中で感じたことを書いています。

沈黙の伝達〜エックハルトトール勉強会で感じたこと (2012/06/11)
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-166.html

目覚めのエネルギーの循環(エックハルトトール勉強会最終回で感じたこと) (2012/08/07)
http://spacemahoroba.blog134.fc2.com/blog-entry-173.html


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[ 2012/10/20 17:59 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)

頭の中を流れる音楽

前々回の記事(何気ない思考に気づく)では、自分を制限するような思考だけでなく、日常生活の中でほとんど気づかずに行っている微妙な思考、例えば、今やっていることを実況中継しているような思考に気づくことについて書きました。

心の中を流れていく思考を、単なる思考にしかすぎない、と気づくことで、思考を超えた大きな空間、大いなる存在を意識することができるようになり、その大いなる存在が本当の自分である、ということを思い出す道が開けてきます。

この前々回の記事を読んでいて、私自身の体験と関連して思い出したことがあるので、補足してみます。

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私はいつの頃からか音楽がないと生きていけない人でした。ウォークマンが一般的になると外出のときにはいつも持ち歩いていたし、10年前くらいからはそれがiPodに変わりました。音楽を聴いていないときにも、何かを考えていないときにはいつも頭の中を音楽が流れていたような気がします。

その音楽も、そのときのお気に入りの曲や、町中やテレビなどで偶然聴いた曲、はたまた、何の意味もない短い音階の繰り返しなど、いろんなパターンがあったように思います。

ところが、思考が少しずつ静まり始め、思考と思考の間の沈黙を意識する時間が増えるようになると、音楽を聴きたいという思いが少しずつなくなってきたのです。

10年前から大阪と境港を往復する生活をするようになってからも、最初の頃は3時間半のバスの中では必ず音楽を聴いていたのですが、今から5、6年前くらいからでしょうか、往復の道中で音楽を聴くことがだんだん少なくなってきました。やがて、私のiPodは外に持ち出されることも充電されることもなくなって、引き出しの中に眠ってしまったのです。

今でもまったく音楽を聴かないというわけではありませんが、聴くときは集中して聴くけれど、ただ漫然とBGMのように流しておくのは耐えられなくなっています。携帯音楽プレーヤーのたぐいも今はまったく持っていないのです。

最初の頃はこういった自分の変化が不思議でもあり、少し寂しくもあったのですが、今はそういうことも思わなくなりました。


以前、四六時中、頭の中を音楽やメロディーが流れていたときには、無意識に思考が流れていたときと同じように、そうすることで「今ここ」を避けていたのです。

もちろん、音楽そのものが悪いわけではありません。素晴らしい音楽が運んでくれるエネルギーにはずいぶん助けられてきましたし、今でもたまにはギターを弾いたりすることもあります。

でも、無意識に頭の中を音楽で埋め尽くしてしまうことは、もっと大切な何かを見失ってしまうことになります。


以前の私は、音楽を聴いてハイになることで、未解決の痛みを感じないようにしていました。音楽が精神安定剤のような役割を果たしていたのですね。

辛いときに音楽がその辛さを和らげてくれるとしたら、それはとてもいいことですが、あなたの準備ができたなら、ヘッドホンを外し、頭の中の音楽も止めて、その奥にあるエネルギーを直接味わってみるのもいいと思います。

最初のうちはさまざまな痛みが浮上してくる可能性がありますが、やがて内なる沈黙というまったく新しい次元が見えてきます。

世界で一番美しい音楽は「沈黙」だと思うのです。

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このブログも記事がかなり増えてきたので、記事の内容別にカテゴリー分けして、過去記事を読みやすくしたいなと思い始めました。最近の記事が「未分類」のままになっているのはそのためです。

しかし、なかなか面倒そうなので、いつできるかはわかりません。(^_^;)

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[ 2012/10/24 22:14 ] 気づき(〜2012/12) | TB(-) | CM(-)
プロフィール

中野真作

Author:中野真作
スピリチュアルセラピスト。1997年からヒーリング&カウンセリングルーム「スペースまほろば」主宰。悟り・非二元の視点から人生のあらゆる苦しみを手放すお手伝いをしています。
スカイプセッションと境港での対面セッションは随時、東京・大阪での出張個人セッションやお話会も定期的に行っています。セッションの詳細につきましては、スペースまほろばをご覧下さい。

「悟り(非二元)と癒しのお話」youtubeで配信中

中野真作の悟り(非二元)と癒しのお話シリーズ第一回「悟りの本質〜すべては自然に起こっている」。その他の動画はyoutubeのスペースまほろばチャンネルをご覧下さい。
東京・大阪・福岡出張個人セッション
■福岡出張個人セッション
2023年11月8日(水),9日(木)
■東京出張個人セッション
2023年11月20日(月)〜24日(金)
■大阪出張個人セッション
2023年12月18日(月)〜21日(木)
オンラインでのセッションは随時ご予約をお受けしています。予約状況はこちらから。
中野真作の癒しと目覚めのお話会スケジュール
ゆったりした雰囲気の中で、あなたの本性である悟り、沈黙の香りを味わっていく集まりです。悟りたい方、非二元に興味のある方、生きるのが辛い方、友達がほしい方、ただのんびりしたい方、お気軽にご参加下さい。>>>お話会の総合案内とスケジュールの一覧はこちら
■中野真作の癒しと目覚めのワークショップ〜「私はいない」を越えて人と世界とつながる方法〜
福岡2023/11/7(火)10:15〜17:00
東京2023/11/19(日)10:00〜16:45
オンラインお話会
2023年11月12日(日)20:00~21:30

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