今日は、先日の「癒しと目覚めのお話会 名古屋1dayミーティング」に参加して下さったともこさんのご感想をご紹介します。
流れ出てくる言葉をそのまま書き留めているこの文章は、ストレートな心の動きが表現されていて、読んでいるだけで心が流れていくような不思議な感じがします。
また、ともこさんご自身のブログでもご感想を書いて下さっています。こちらの文章は少し落ち着いてから書いて下さったような感じがしますので、まず以下にご紹介する文章を読んでから、このリンクを開いてみると心の動きが感じられて面白いかもしれません。
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お話会というものに参加してきました。ともこさんは、リーディングして絵を描いたり、オラクルカードを作ったりしておられます。お仕事のご紹介はこちらをご覧下さい。
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manamonoともこさん、ご感想ありがとうございました。
-----ご感想ここから-----
中野真作さん、こんにちは。
名古屋1dayミーティングに参加させて頂きましたともこです。
すごく長い感想なのですが、書いている最中の動きをそのままお伝えするのもいいかも。と思い、推敲せずそのまま送りますm(_ _)m
色々と話したことも、聞いたことも、会ったことも、おもしろかったです。
1dayミーティングにあたって、「静かにしなきゃ」と思わず、暴走するならするでいい、話しまくるも黙るも聞くも、その時出てくるまま。と思い、当日を迎えました。「あぁ、私が話すことで人の貴重な時間や沈黙を奪うのでは」と思う気持ちが大きくても、話したい時は話していました。不愉快にさせていないかと不安な時は不安でいました。人の話しを聞くのは面白く、それが繰り返し繰り返しの内容でも、イラっとするどころか、聞いていてなんだかほっとするような気持ちになりました。
私は喉を絞めて話し呼吸が浅いので、息子に絵本を読む時など、意識的にゆるめて声が響くことを遊んだりするのですが、中野さんは常にそのような、それよりもっと深い声で、「あぁ、いつもこのように話せたら、いいだろうな・・・・そういえば最近やっていないな。帰ってたらやってみよう。」と思いました。対して、1dayミーティングの最中、我ながらなんと煩い声に話し方かΣ( ̄□ ̄;)と思いながら、それもいいや。と、やはり好き勝手でおりました。取り繕おうとしていること、矛盾無く話そうとしていること、緊張して焦ることを、無理に素直になろう落ち着こうとしなくてもいいや、と過ごしていました。
夫の実家で家族と合流し、夕飯を頂き、家に帰りました。家事を済ませ息子と入浴し、前日前々日と夜更かしが続いて寝不足だったので早々に床につきました。こんこんと眠り、時々夢を見て目を覚まし、また眠り、起きて暖房をつけごろごろし、「あー感想が流れてた。寝ようか起きようか・・・・書きたいみたい。」と思い、ごろごろしながら感想を書き始めました。
愛はあの静かな何かで、それを人として受け取る時に、愛情になるのかな。感じているのを見ている?みたいになっている時に浮かんだことを、口から話すと「話そうとする」能動的な動きになって、意識もそんな感じになって、目まぐるしくなっているなぁと感じました。
どうにかしようとすること、能動的になることは、愛の安心(死の恐怖から遠くなると思っていること)を得ようとする取り引きなのかな。と感じました。
お金、不安、恐怖、死ぬこと、愛、どうにかしようともがくこと・・・・その先に起こることのある、努力(成そうとすること・取り引き)を放棄すること(放棄すると感じられること)、そこにあらわれる意識のありよう。
押したり引いたりすること。成そうとすること。それは成功するように見えるとうれしくて、失敗するように見えると凹むけど、成したでなく成せなかったでなく、成るという成らないという現れ?なのかな。と感じました。
意識の焦点?が、私から、私を見ている私の焦点から、焦点を限らない?になるのかなぁ・・・。
と、息子と布団でごろごろしながらここまで感想を打ち、休みたいと感じたので目を閉じました。私のイメージがストーリーとして流れました。私は端から消えていきました。怯えながら消えました。私が消えたのに、怯えを感じた私はそこにいました。怯える私を見ていました。感じるは見るでした。どういうことか?と思いました。思いは流れていき、それを見ていました。思う私が消えました。私は最初から変わらずそこにありました。何もありませんでした。それはあたりまえでした。
起きて掃除機をかけ、息子とふざけます。テレビがついています。夫が帰ってきます。私がいます。見ています。あります。言葉にすると区切りのようになります。
これだけが私である。いや、これが私である。あっちが、こっちが。というものから何から含む全部私でした。あることが、あるように、ありました。
色々な思い、感情。そういうものに接していく、そういうものをそういうもののまま体験することを、やってみよう。という動きが起こりました。溜まっていた洗濯物を洗っていくとか、着ていなかった服を着るとか、積んだ本を読むとか、「こんなの無理無理」「こんなに沢山やらなきゃいけないことがあるって怖い。もう鍵をしめて放浪の旅に出よう。」みたいな気持ちでいたことに、果敢ではなく悲壮でもなく燃えているでもなく冷めているでもなく、ふつうにそうする。みたいな感じがしています。するという積極性でもなく、でも、他に書きようのないような感覚でいます。
私は怖いが沢山あって、思いや感情に触れての七転八倒もきっと怖い怖いって言うなぁって思って、それをしていくことは怖くないような、かんじです。ブレスワークを受けてみようと思っています。
以上、名古屋1dayミーティングの感想です。
ありがとうございました。
-----ご感想ここまで-----
私も、もともとはともこさんと同じように無意識に喉を締めてしまうことが多く、若い頃からずっと吃音に悩んできました。なので、少し前までは大勢の人の前で話をするなんて考えられなかったのです。
それが、今でも吃ってしまうことはありますが、大いなるものにチューニングを合わせていくと、喉が自然に開いていくような、エネルギーが自然に流れて行くような感じがしてきます。
特にお話会の場では、参加して下さる方とのエネルギーの相互作用によって、そういう感覚が深くなるような感じがしています。
お話会のたびに毎回思うのですが、グループの中で生まれる場のエネルギーは参加して下さる方一人一人全員が作り出しているもので、毎回まったく違ったものになります。
たくさん話をして下さる方も、まったく言葉を発しない方も、すべての人がその場を構成する大切な存在です。
名古屋でもお話ししましたが、目覚めた視点とは何ものも除外しない視点です。
私を初め、そこにいる人たちが出来るだけこのこと(目覚めた視点)を意識しながら存在していると、そこにいる全員にとって必要なプロセスが自然に起こってくるのかもしれません。
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