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12月1日(日)の「
癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート」はまだ空席があります。心の癒しと意識の目覚め、悟りなどに興味をお持ちの方のご参加をお待ちしています。
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目覚めのプロセスの途中では、はっきりとした理由もないのに泣いたり笑ったりすることがよく起こります。
特に私は子供の頃から極限まで自分の感情を抑圧していたので、目覚めのプロセスが始まった20数年前は
ブレスワークなどのセラピーを受けると、ひたすら泣き続ける、というプロセスが何度も続いていました。
それから数年した頃、今度は理由もないのにお腹の底から笑いがこみ上げてくる、という体験が初めて起こりました。これはかなり強烈な体験として、今でもはっきりと覚えていますし、私の目覚めのプロセスの中では大きなブレークスルーになったような気がします。
私自身が
ブレスワークをよく受けていたのは目覚めのプロセスが始まってから4、5年の間で、その頃はセラピーを通してずいぶん感情の解放と浄化が進んでいるな、という自覚があったのですが、その後の5年間の会社勤めや会社をやめてセラピーの仕事を始めてからしばらくの間は、自分の感情についてあまり自覚的ではなかったような気がします。
それが、今から6、7年前くらいでしょうか、父が亡くなる少し前あたりから、理由もないのに泣いたり笑ったりを繰り返すことが増えてきました。
理由もないのにと書きましたが、表面的には何かきっかけになる出来事がある場合もあります。例えば、目覚めのプロセスのごく初期の頃によくあったのは、互いに愛し合っている人たちを見たとき。もう少し後には、人間が精一杯何かをやっている様子(例えば、スポーツ選手、ミュージシャン、芸術家、ごく普通の人たちが何かに打ち込んでいる様子)などを見たとき。
さらにもう少し最近になると、ただ人間がそこにそうして生きている、と感じた瞬間。世界がこのように存在している、その神秘を意識した瞬間。ただ一息ついてリラックスした瞬間に突然涙があふれてきたりすることもありました。
そうなると、周囲の状況が許せば、だいたい数分から10分くらいの間、ひたすらワンワン泣き続けます。そのうち涙は自然に笑いにかわってきて、腹の底から笑います。やがてまた涙に変わったり、泣いたり、、、。また、突然笑いから始まって、やがて涙に変わる、ということもありました。
こういうプロセスが頻繁に起こる時期とそうでもない時期が交互に繰り返してやってきました。
前にもブログに書いた、
3年ほど前の親知らず抜歯事件の前後あたりが、この泣き笑いのプロセスが最高潮だった時期のような気がします。
このプロセスで個人的に印象深いのは、以前は自分一人でいるときにしかこのプロセスは起こらなかった、ということです。ですから、主に大阪のセッションルームに来ていて、来客もなく周囲にだれもいないときにしか起こらなかったのです。ところが、いつの頃からか家に帰っているとき、妻がそばにいるときにも同じように起こるようになりました。
目覚めのプロセスについてあまり知識がない人がこの泣き笑いのプロセスに入っている人を見たら、きっと頭がおかしくなったと思うに違いありません。でも、幸いなことに妻はそんな私を「ああまたか(^_^)」という感じで、あまり気にせずに見てくれていました。
さて、この泣き笑いはいったい何なのでしょうか?
まず、笑いは、エネルギーの爆発的な解放、そして、このあまりにもシンプルな真実、もっとも深いリアリティに触れたときに起こるおかしさ、「な〜んだそんなことだったのか」とでも言うような感覚と関係しているような気がします。
一方、涙にはもう少し複雑な層があるのではないでしょうか。
私の場合、子供の頃にはまったく意識できていなかったとてつもない悲しみや喪失感を持っていました。人間が個人として成長していくための情緒的な栄養分をほとんど全く与えられなかった。それが全くなかったため、そんなものがあると意識したこともなかったので、どうしてそんなに生きづらいのか意識しようもなかったのです。
それが、最初の目覚めの体験のあと、閉じ込められていた感情が意識に浮上してくるにつれ、自分の生き(息)苦しさの原因が少しずつわかってきました。
愛情を求めながらそれを得られなかった悲しみ、痛みとしての涙の層は、多くの人にとって多かれ少なかれまず最初にあるのではないでしょうか。
でも、涙にはそれだけではない深い層もあります。
人間としての愛情をある程度感じ取ることで自我が発達していき、自分がこの世界の中で一人の人間として生きているのだ、ということを深く自覚してくると、人間として生きていることそのものに由来する悲しみを感じるときがきます。
どんな人もたった一人で生まれてきて、やがて必ず一人で死んでいくこと。この存在そのものに由来する孤独、悲しみ。実存的な悲しみといってもいいかもしれません。ここからやってくる涙の層があります。
そして、さらに意識が深まってくると、「私とはいつか必ず死んでしまうこの心と身体のことではないのだ」という理解がやってくるときがあります。それまで「世界とはこのようなものなのだ」と無意識のうちに信じ込んでいた思い込みが緩んでいき、もっとも深いリアリティが見えてくるときがくるのです。
そんな深い理解がやってきたとき、笑いとともに涙があふれてきます。この涙は世界とお別れする悲しみの涙と言ってもいいですし、真実を理解し苦しみから解放される喜びの涙と言ってもいいでしょう。
また、この涙の3つの層は必ずしも順番に体験されるものではありません。
3つの層をいったり来たりしながら、それぞれの段階に必要な変容のプロセスを同時進行的に体験し統合していくということが起こります。これは、目覚めたと思ったらまた後戻りしたような感じがする感覚、目覚めが行きつ戻りつするような感覚と関連しているのではないかと思います。
もっとも、こういったことについて書くと、自分にはまだそんな体験が起こっていない、まだ目覚めていないんだ、と考えてしまう方もいると思います。でも、実際は、こういった激しい体験が起こることと目覚めることとは直接関係ありません。
激しい体験が起こるのは、それだけ抑圧が強い、言い換えればペインボディが大きいということを表しているだけで、そんな激しい体験を通過しなくても目覚めることはできるのです。
目覚める前に激しい体験をした、という情報がたくさんあるのは、私が思うに、そういう体験をした人ほどそのことを誰かに話したくなるからなのではないでしょうか。私もその一人ですが。(^_^)
泣き笑いのプロセスを通してさまざまなエネルギーが浄化され手放されていくことで、激しいプロセスは自然と収まってきます。とはいっても、それがまったく起こらなくなってくること、あるいは、感情的な動きがまったくなくなってしまうことが目標ではありません。
エネルギーが自由に流れるようになってくると、それを体験している主体としての私はいないのだ、という気づきが起こりやすくなってきます。すべてのことはただ自然に起こっている、それをしている誰かがいるわけではないという深い理解がやってきます。
ただ、そうなっているだけ。
ただ、それだけ、なのです。
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参考記事
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どうしたら悟れるか (2013/10/26)
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・
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