6月22日(日)は「
癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート」です。20〜25日には
東京で個人セッションも行います。
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resonanz360のヒロさん翻訳によるグレッググッドの「
気づきの視点に立ってみたらどうなるんだろう?
」、2回目読了しました。
この本はサブタイトルにもあるように「ダイレクトパス」の入門書です。
ダイレクトパス(直接的な道)とはプログレッシブパス(漸進的な道)と比較されるときに使われる言葉で、真実にたどり着くために何かを少しずつ改善していく必要はなく、そもそもの最初から自分とは真実そのものなのだ、という立場のことを指します。
今日はこの本を読んで感じたことをつれづれに書いてみます。
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なんだかとても素敵な本ですね。ヒロさんの翻訳の読みやすさと相まって、自分とは気づき(存在、意識、神、愛、空、無、それ、、、)そのものである、ということが自然に腑に落ちてくるような感覚があります。
ルパートスパイラの「
プレゼンス
」も私にとってはかなり大きな意味のある本だったのですが、ルパートスパイラはもともと芸術家(陶芸家)であるということとも関係あると思うのですが、プレゼンスはとても詩的な本のような印象があります。
一方でグレッググッドは哲学者でもあるので、どちらかというと私のような思考優先人間には響きやすいものがあるのかな、という気がしました。
プレゼンス
よりも
気づきの視点に〜
のほうがわかりやすい、という言葉を何人かの方からも伺いました。
とはいえ、「
気づきの視点に〜
」を2回読んだあと
プレゼンス
を読んでみると、その言葉がとても深い部分に共鳴してくる感覚があったので、またあらためてプレゼンスを読んでみようかと思っています。
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「サットサンで悟れなかった理由」という章は
私自身のグループのあり方についていろんな気づきを受け取ることができました。
たしかにグループセッションの中では、とても深いエネルギー的な体験(深いリラックス、至福感、安心感、受け入れられる体験)が起こることがよくあって、それを体験したいがためにグループに依存してしまう、ということも起こりがちです。
一方で、主催している私としても、はっきりとわかりやすいエネルギー的な体験を売りものにしたくなる気持ちも出てきます。
そういった体験は一人の人間としてはとても大切なものだし、必要なものでもあるのですが、それ=悟りだと勘違いさせるような言動を無意識に私がしてしまうことのないように気をつける必要があるな、ということを感じました。
至福感も絶望感も、どちらも気づきの中で現れては消えていく一つの体験に過ぎないということ、もともとの「私」とはその「気づき」そのもののことなんだ、ということ。
私自身がそのことに気づいておくこと、つまり、気づきそのものとしてその場にいることが大切なのだな、とあらためて思います。
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この本を一通り読んだときに少し違和感を感じたのは、自分が気づきそのものであることを思い出せば、それですべてオッケーというような感じがしたことです。
最近引用したケンウィルバーの言葉にもあったように、非二元の真実を垣間みることは簡単だけれど(だってもともとそうなのだから)、その認識に落ち着いていられるようになるには、見かけ上の心理的な癒しのプロセスは、ほとんどの場合避けられないように思います。
プレゼンス
の中にはそういった感情的な問題に向き合って行くことについての言及がかなりありますが、気づきの視点に〜ではそういったことについてはまったく触れられていないのかな?と感じていました。
でも、2回目読み終わって、そうではないな、と気づきました。感情的なプロセスがあることは自覚しながら、でもそれはこの本の守備範囲ではない、ということをわかって書いているのだな、と思います。それは例えば、次のような文章を読むとわかります。
この探求は甘美なものですが、人という名の組み立て品にとっては、必ずしも楽なものでも、ほっとするものでもありません。何が現れても怖じ気づかないようにして下さい。P137
不快感や痛みはそのままにしておいたらどうでしょう。不快感や痛みは何を表しているのだろうとか、何かの象徴ではないだろうかと考えたりせずに。p116
また次のような言葉も心に響きました。
気づきと気づきではないように思えるものの違いを調べるとき、この「気づきではないもの」を広げて抱きしめてみる。そのとき気づくのは、それがじつは自分自身だということだ。p30
この文章を読んでいると、エックハルトトールが「ペインボディに意識の光を当てるとそれが意識の光そのものになる」と語っているのを思い出します。また、心理学的に言えば「投影を引き戻す」ということでしょう。
目覚めのプロセスの中で体験する感情的、心理的な問題についてサポートが必要だと感じている方は私の個人セッションを受けてみて下さい。
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少し前、ダグラスハーディングの実験にずいぶん心ひかれる感じがしていました。ハーディングの実験をやるグループを大阪でもやってみようかなと思っていたほどです。
でも、最近はこのグレッググッドの意識の実験のほうがずいぶんしっくりきています。それはこの実験が、自分が無意識のうちに体験していたことととても似ている感じがしているからです。
もう20年以上前、目覚めのプロセスが始まったばかりの頃、新聞を読んでいたら、新聞の文字が突然意味を失って、ただインクのシミが紙の上に乗っているだけのように見えてきたことがあります。
意味を手放した日最近、世界を見ていると、そこにいろんな物体があるわけではなくて、ただ光のきらめきだけがあるように見えることがあります。
世界というのは、映画を見ているのと同じように、存在というスクリーンの上にさまざまな光がうごめいているだけなのだ、という、よく聞く比喩の意味がわかった感じがしました。
スクリーンの上に展開されている単なる光の動きにいろんな意味付けをして一喜一憂しているけれど、本当に見ているのはスクリーン(気づき、存在、空、意識、神、愛、それ、、)だけなのですね。
そして、一喜一憂してしまうその感情や思考すらもスクリーンの上に展開している光のきらめきの一部なのです。
そのことが理解されるとグレッググッドのいう「観照が定着する」段階がやってきます。その段階に意識的にとどまると(これが自己探求という言葉のもっとも深い意味ですが)やがて観照が崩壊し、すべてがそれであるという自然な認識に落ち着きます。「観照が純粋意識へと崩壊して」いくのです。
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6月22日(日)の
東京1dayリトリート、7月6日(日)の
大阪1dayリトリートではこの本からグレッググッドの意識の実験をいくつか行いながら、心の癒しと意識の目覚めの関連などについてもお話していきます。
また7月11日(金)の
「ダイレクトパスを学ぶ会」(新大阪)は、短い時間(2時間弱)ですが、この本の実験ばかりを集中して行っていく予定です。ちょうどこの本の実践編である
The Direct Path: A User Guide
がアマゾンから届いたので、間に合えばこちらからも実験を行ってみたいと思います。
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関連記事
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(あらためて)感情を解放することの大切さについて・
どうしたら悟れるか・
自分を愛するということ-----
■出張東京個人セッション
次回の東京での個人セッションは6月20〜25日に行います。
カウンセリング、
ヒプノセラピー、
ブレスワークなど、大阪で行っているのとほぼ同じ形でのセッションが可能です。興味はあるけれど大阪まではなかなか行けないと考えておられる方はこの機会に受けてみて下さい。
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・癒しと目覚めのお話会
6月22日(日)10時〜16時45分
癒しと目覚めのお話会 東京1dayリトリート 7月 6日(日)10時〜16時45分
癒しと目覚めのお話会 大阪1dayリトリート・
特別企画「ダイレクトパスを学ぶ会」(新大阪)
7月11日(金)19時〜20時50分
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6月27日(金)
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