このところブログに書きたいような言葉があんまり浮かんで来ない日々が続いていました。
少し前にはいくつか原稿を書いてみたりもしたのですが、どの言葉もなんだかしっくりこない感じがして、発表するには至りませんでした。
言葉を紡ぎ出すよりも、言葉のない空間に安らいでいるのがとっても心地よい感覚があって、言葉がじゃまになるような気持ちにすらなっていました。
でも、最近はまた少し違う感覚が浮かんできたような気もしています。
言葉そのものが沈黙の現れである、とでもいうような感じでしょうか。
言葉があっても、それは沈黙をじゃまするものではない。
現象の世界にはさまざまな出来事が起こり、苦しんだり喜んだりしますが、その出来事や出来事にともなって起こる思考や感情は、すべての存在の基盤となる沈黙をじゃまするものではなく、その沈黙そのものの現れである。
何をしているときにも、どんな思考や感情が起こっているときにも、それらの行為や思考や感情が大いなる沈黙そのものである、ということを常に意識しておくこと。
何をしているときにも、身体の感覚、身体的なエネルギー場、エックハルトトールのいう「インナーボディ」を意識しておくこと。
何をしているときにも自分の、そして、世界の空性に気づいておくこと。
気づきそのものに気づいておくこと。
意識そのものを意識しておくこと。
すべては、今この瞬間、ありのまま、そのままで、すでに自ずから解放されている。
あなたの喜びも悲しみも苦しみも痛みも、沈黙の(神の、愛の、大いなる一者の、、)完全な表現である。
そのままで大丈夫。
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最後まで読んで下さってありがとう。あなたの愛に感謝します。
「スペースまほろば」 twitter@shinsaku0323
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