先日書いた
「目覚めた人と目覚めていない人」を読み返していて思い浮かんだことをもう少し書いてみました。
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自分の内側で目覚めのプロセスが始まって、世界のより深い次元を感じ取るようになると、「あの人は目覚めているけど、この人はまだ目覚めていない」というような思考が自然と心に浮かんでくる時期があります。
誰に出会っても、その人がどの程度目覚めているのか、自分よりも目覚めているのか、ということが気になってしまったりします。
自分のほうが目覚めが深いぞ、と思えば優越感を感じ、この人は自分よりも目覚めているようだ、と思えば劣等感を感じてしまいます。
もう少し気づきが深まってくると、そんな判断をしてしまう自分自身に罪悪感を感じてしまうこともあるかもしれません。
でも、どんな思考が心に浮かんできても、それをそのまま信じる必要はないのです。
「あの人は目覚めている」「この人は目覚めていない」というような思考が浮かんできたら、それを単なる一つの思考だと気づいて、ただ流していきましょう。
人の目覚めについてあれこれ判断を下す自分自身を判断している思考に気づいたら、それも単なる一つの思考だと気づいて、ただ流していきましょう。
そういう思考(言葉の流れ)が頭の中を通り過ぎていくことに、ただ気づいておきましょう。
少し別の視点から見れば、他者が目覚めているかどうかということが気になるということは、自分自身がまだ目覚めていない、とうことを教えてくれる大切なメッセージです。
真実の目覚めの状態に落ち着いてくると、つまり、あらゆる二元性を超えてすべてのものをありのまま見ることができるようになってくると、目覚めている人、目覚めていない人、という視点も抜け落ちていきます。
目覚めているように見えたり、目覚めていないように見えたりするその状況そのものが、目覚めそのもの、空そのもの、存在そのもののかけがえのない表現であることが見えてきます。
「すべてのことはただそうなっているだけである」という言葉の意味が理解されます。
「ありのまま」という言葉の意味が理解されます。
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