暑い日が続くと、数年前に亡くなった父のことを思い出す事があります。といっても、亡くなったのは10月なのですが、最後に父に会ったのが、ちょっと日なたにいるだけでクラクラしてきそうな8月の暑い日だったのです。
亡くなる直前、少しずつ身体がマヒして動けなくなっていく状態の中で、父はいったい何を考えていたのでしょうか。きっと人生全体が過ぎ去っていく夢のように見えていたのではないだろうかと思います。
たぶん、そのあたりから、私の意識の中でも根本的で最終的なシフトが起こり始めたような気がするのです。
「死ぬ直前に人生を振り返れば、きっと人生全体が夢のような感じなんだろうなぁ」ということをぼんやり考えていると、つまるところ、今現実だと思っているこの人生は夢なのではないのか?、という感じがしてきました。
そして、「人生が夢」というのはどんな感じなのかな、と考えていたら、次のようなイメージが浮かんできたのです。
「人生ゲーム」というおもちゃ、というか、ボードゲームを思い出してみて下さい。ずいぶん昔からあって、内容は少しずつ変わりながら今も販売されている人気ゲームですから、ご存知の方も多いかもしれません。
#イメージが浮かんでこない方はタカラトミーのサイトを見て下さい。
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http://www.takaratomy.co.jp/products/jinsei/自分がこのゲームの駒というか登場人物だと考えてみて下さい。その自分にとっては、ゲームのボードの上だけが世界のすべてで、その外側に自分の知らない世界が広がっているなんて思ったこともありません。すると、その世界の中で起こる出来事は一つ一つがリアルで重大事です。
しかし、現実の自分はその世界を外側から見ながら、そこで起こることをゲームとして楽しんでいます。億万長者になろうが、破産しようが、生まれようが死のうが、それはゲームの中で起こっていることだとわかっています。
ゲームのボードの上だけで生きている自分は、いってみれば2次元の世界の人物で、もう一つ上の3次元の世界があることを知りません。
では、一つ次元をプラスして考えてみましょう。
今この文章を読んでいるあなたはこの3次元の世界の中で、日々の生活の中で起こるさまざまな出来事を通して、喜んだり悲しんだり苦しんだりしています。それ以外の世界があるなんて思ったことがなければ、この3次元の世界の中で起こることはすべてリアルで、どれもが重大事です。
ところが、2次元の人生ゲームでの出来事を3次元のあなたがゲームだとわかって眺めていたように、4次元(?)の自分がこの3次元の現実(だと思っているこの世界)を眺めてみれば、この世界の出来事もある種のゲーム、夢のような出来事に見えてくるのです。
すると、そこで何が起こっても、起こっていることをゲームのように気楽に楽しみながら体験することができる感じがしてきます。自分が生まれてくることや死んでいくことも含めて。
もちろん、だからといってその感覚は、人生をいい加減に生きる、という感覚とはずいぶん違います。余計なことを考えずに今やっていることに完全に意識を集中し、終わってしまえば結果にはこだわらない、そんな感じでしょうか。
本当の自分というのはこのゲームの登場人物ではなくて、ゲーム全体を眺めている存在なのです。
人生の中で大切なことは「ゲーム全体を眺めている視点も保ちながら、ゲームの登場人物の一人としてそれがゲームだとわかりながら真剣にゲームをすること」と言ってもいいかもしれません。
これは
癒しと目覚め(悟り)のために必要なこと2の中で書いた「意識が意識そのものに気づいている状態」「神が自分が神であることに気づいている状態」と同じことです。
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