前回の「父の死と人生ゲーム」の最後(と、
「癒しと目覚め(悟り)のために必要なこと2」)に書いた「意識が意識そのものに気づいている状態」「神が自分が神であることに気づいている状態」というのはどんな感じなのか、今ひとつわからない、というご感想をいただきました。
もう少し身体の感覚に添った表現をすると次のような感じでしょうか。文章を読みながら、ご自分の身体の感覚で試してみて下さい。
私たちは通常、感覚の対象物にばかり意識が向いていて、感覚の主体を意識することはあまりありません。例えば、何かに触っているときに、触っているものは意識しているけれど、触っている手を意識することはあまりありません。これは、感覚の主体のほうに意識を向けるエクササイズです。
まず、手で何かを触ってみて下さい。何かがあなたの手に触れている感覚があります。柔らかい感じ、あたたかい感じ、ゴツゴツとした感じ、冷たい感じ、など、いろんな感覚が感じられます。
では何も触っていないとき、あなたの手にはどんな感じがあるでしょうか。手そのもの感覚がそこにあるはずです。
何も触っていないときの手そのものの感覚を意識してみましょう。
次に、何かを食べているときのことを思い出してみて下さい。実際に何かを口に入れてみるといいかもしれません。
いろんな味を感じます。甘さ、辛さ、酸っぱさ、苦さ、、、。熱さや冷たさ、また、いろんな舌触りも感じるでしょう。
では、何も口の中に入っていないとき、口の中そのもの、舌そのものにはどんな感じがあるでしょうか。口そのものの感覚、舌そのものの感覚がそこにあります。
何も口に入っていないときの、口の中そのもの、舌そのものの感覚を意識してみましょう。
さて、あなたの心の中にはいろんな考えが浮かんでは消えています。このブログはおもしろいなあ(難しいなあ、つまらないなあ、、、)、今夜何食べようかな、あの人はどうしてあんなことを言ったのだろうか、、、。
今起こっていることを実況中継していたり、すでに起こったことあれこれ悔やんだり、これから起こるかもしれないことを心配したり、、、。いろんな考えが心の中を流れています。
では、心の中に何の考えもないとき、そこにはどんな感じがあるでしょうか。心そのもの、その中で考えが浮かんできては消えていく心の空間そのものの感じがあります。
心の中に何の考えも浮かんでいないときの、心そのものの感覚を意識してみましょう。そこにはいったい何があるでしょうか。
それについて考えないようにして、ただその感覚を意識してみて下さい。ほっとする感じ、空っぽな感じ、満たされた感じ、不安な感じ。どんな感覚があっても大丈夫ですから、ただその感覚を味わってみて下さい。そして、その感覚が浮かんでいる心の空間を意識してみて下さい。
そのときあなたはすべての存在の一番奥にある、「空(くう)」そのものを感じています。
意識そのものを感じています。
あなたの本質そのものを感じています。
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