さて、次に何を書こうかと思い、いくつか原稿の下書きをしてみたのですが、何を書くにも、まず私が今の仕事に導かれるきっかけになった最初の覚醒体験について読者のみなさんにお伝えしたいと思いました。
この体験についてはかなり前からホームページに公開している文章があって、そちらにリンクをはることも考えたのですが、このブログをきっかけにスペースまほろばのことを知って下さる方も増えているので、少し長くなりますが、全文を掲載します。
この体験が起こったのは1988年の春から冬にかけて、そして、この文章を書いたのは1997年頃です。その頃仲間とともに発行していたメールマガジンに5回シリーズで発表した文章で、「僕」という主語を使って少しフィクション風の表現になっていますが、すべて私の実体験です。
初めて読む方はもちろん、すでに読んだことのある方も、自分の内側に感じるフィーリングを味わいながら、ゆっくりと読んでみて下さい。
また、この体験について興味を持たれた方は
「なーんだ、そうだったの?」~実践ガイドもご覧下さい。
連載小説「なーんだ、そうだったの?」第1回~第5回
■第1回「死の恐怖」
それは修士課程に進学して最初の冬だった。
その一年間「僕」は必死になって勉強した。後で思えば、異常なくらい。自分は勉強で身を立てていくしかないと思っていた。それなのに、この知識のなさはなんだ?こんなことではやっていけないぞ。もっと、もっと、勉強しなくちゃ。
大学院本来の講義は一日1コマか2コマしかなかった。なのに、学部の経済原論やゼミをはじめとして、ほとんど毎日、4コマすべて講義に出席していた。それが終わった後、研究会に出席していた日もあったなあ。
「僕」のこころは空虚だった。それを認めるのは怖かった。その空虚さを見ないですむのなら、どんなつらい努力でもした。
冬の気配が深まっていくにつれて、「僕」の身体は少しずつバランスを崩していった。がむしゃらに食べた。2合炊いたご飯を、毎晩一気に食べた。水が欲しくてしょうがなく、お風呂で水道の水をがぶがぶ飲んだ。その1年間に5kg以上体重が増えた。
見えないものにせきたてられるように、いつも落ちつきなく、次から次へと作業をこなしていった。あれが終わったらこれをやらなきゃ。こっちが済んだらこんどはあれだな。
どこまでいったら納得できるのだろう。その連鎖の果てに何があるのか?
2月、春休み。「僕」は大学を離れて実家にいた。下宿から送ったダンボール箱二つ分の本をテーブルの両脇に積み上げて、そこはまるで要塞のようだった。その本の壁に守られるようにして、「僕」は空しい思考の渦の中に巻き込まれていった。
はじめは風邪をひいたのかと思っていた。微熱が続き、咳が出た。そのころ、インフルエンザが流行していたし、子どものころから通っている病院でも風邪薬をくれただけだった。
しかし、症状はいっこうにおさまらない。身体はますますしんどくなるばかり。「僕」は本を読む気力もなくして、数日間ごろごろ過ごした。
2月の終わりに近いその夜、「僕」は居間とふすま一枚隔てた部屋にふとんを敷いて寝ていた。となりの部屋からは家族の声が聞こえてくる。「僕」の中で何かが飽和したのかもしれない。
何かが起こり始めた。
急に、家族の声が遠くに離れていくような気がした。
天井がどんどん遠くなっていく。
胸が締めつけられるように苦しい。
胸が「キーン」と鳴るくらい締めつけられる。
苦しい、苦しい、何が起こっているんだ。
パニックになった。
声が出ない。胸が張り裂けそうだ。この苦しさはなんなんだ。「僕」はこのまま死んでしまうに違いない。そうだ、死ぬんだ。「僕」はこのまま死んでしまう。「死」。とてつもない恐怖。「僕」は死ぬ。「僕」は死ぬんだー。
そのとき、「僕」のこころの中に奇妙な一連の思考が浮かんできた。
そうか、これから「僕」は死の瞬間を経験することが出来るんだ。これは生まれてはじめての経験だ。死の瞬間ってどんなだろう。なんだかわくわくするな。
そして、不思議な安らぎがやってきた。
「僕」は眠ってしまったのだろうか。
■第2回「白い光」
その瞬間、「僕」の中で何かが飽和し、破裂した。だが、その意味がはっきりとわかるもう一つの体験をするのは、まだ半年以上も先である。
大学はちょうど春休みに入ったところだった。しばらくは実家で休んでいても大丈夫ではあった。それにしても苦しい。これは本当にインフルエンザなのか?食欲が全然ない。3月の半ば10日間ほどはほとんど何も口に入れることが出来なかった。1ヵ月で体重が10kg減った。
何より、わけのわからない苦しさに苛まれている。身体を動かすのがつらい。横になっていても、四六時中、どうしようもない苦しさに襲われている。さすがに心配になり違う病院に行った。血液検査の結果、肝機能を表わす数字が多少悪化していた。軽い急性肝炎だったのではないか、という診断だった。
それからは、やれ食事療法だの、安静が一番だの、周囲のさわがしかったこと。
でも、何かがおかしい。外に出ようとしても、足が重い。足を引きずるようにして玄関を出るのだが、そこから外へ出て行くことができない。
そして、眠い。とにかく眠い。横になっていても苦しいので、こころ休まるのは眠っているときだけ。「僕」は昼間から暖かい布団の中で眠り続けた。
しばらくすると不思議な感覚がやってきた。昼間、締め切った障子を通して寝室に差し込む白い光の中で眠っていると、なんとも言えない心地よさがやってくる。生まれてこのかたまったく知らなかった感覚だ。その感覚を味わいたくて、また眠る。
しかしながら、当然夜は眠れない。夜が来るのが怖い。深夜放送のラジオから流れてくる声だけを命綱のようにして、夜が明けるのを待つ毎日。夜が明け、部屋が朝の光に満ちたころ、「僕」はまた白い光に包まれて眠る。
結局「僕」は大学を休み、夏までそうやって実家で過ごした。
秋の気配が近づいてくるころ、「僕」は少しずつ外に出ることも出来るようになった。そして、ぼんやりと考えた。「いつまでもここにいてはいけない。」
大学に戻って何をするのだろう。勉強?何の?経済学に対する興味はすっかりなくなっていた。いや、もとからなかったのだ。いやいや、そんなはずはない。それじゃあなんのために勉強していたんだ?
わからない。でも、「僕」はとにかく一人になりたかった。ふらつく身体をかろうじて支えながら、「僕」は下宿のアパートへと戻った。
4月から大学に出ていない「僕」には出席する講義はなかった。一日一回、研究室に顔を出し、夕方には帰って来て寝る生活。あのころ、「僕」は何をしていたのだろう。ただ、かろうじて肉体を維持するだけの生活。
過去のことも未来のことも、「僕」の頭の中にはなかった。
また冬がやってきた。研究室のガスストーブが暖かい。
それは、たしか12月中旬のある夜だった。
■第3回「誕生」
その頃の「僕」は日記をつけていた。毎日書いていたわけでもないし、それほど詳しく書いていたわけでもない。ただ、こころを揺さぶられるような出来事があれば、それを表現せずにはいられなかった、はずだ。
「その日」が正確には何日だったのか、それを確認するすべはもうない。「12月中旬」としか覚えていない「その日」の前後の日記は、空白だった。しばらくたって、たぶん一ヵ月以上あとだったと思うのだが、「その日」に起こったことの重大さに気付いた「僕」は、その日を思い出して日記帳にしたためた。
「その日」の夕方、あいかわらず重たい身体をなんとかひきずって、「僕」は研究室からアパートの部屋に戻っていた。食事を済ませてからは、特に何かをする気力もなく、ぼんやりしていたのかもしれない。外はすでに暗くなっていた。
ひどく身体がだるくなってきた「僕」は、布団をしいて横になった。これもいつものことだ。
また、あの苦しさがやってきた。「僕」は布団にしがみついて、それをやりすごそうとした。
ふと気がつくと、不思議なことが起こっていた。
「僕」の身体の表面が、キラキラと光輝いている。
夢を見ていたのではない。意識ははっきりしていた。
何が起こったのかはわからない。そのときの「僕」は、そんなことを考える余裕すらなく、ただそこにいるだけだった。
いったいどのくらいの時間、その状態が続いていたのだろう。瞬間だったのか、数十分だったのか、まったくわからない。
始まったときと同じように、ふと気がつくとその状態は終わっていた。
「僕」は注意深くあたりを見回した。さっきまで寝ていた布団の中に、「僕」はたしかに寝ている。机もテレビも本だなも、さっきまでと同じところに、たしかにあった。
でも、「僕」にははっきりと理解できた。
「僕」は違う世界にやってきた!
すべてはさっきまでと同じようにそこにある。でも、何かが根本的に違うのだ。そこは、それまでの「僕」の知らなかった全く新しい世界。
「僕」は生まれ変わったのだ。
いや、この表現はあまり正確ではないな。
「僕」は生まれた。
さまざまな喜びと苦しみがいっきょに押し寄せてきた。
■第4回「光の中へ」
翌日、「僕」はいつものように遅い時間に目覚めた。空腹を満たすため、自転車に乗って外に出た。あまりのことに「僕」は驚愕した。
世界がこのように「在る」!
花が咲いている。太陽が輝いている。風が吹いている。人が歩いている。車が走っている。音が聞こえる。香りがある。色がある。
「僕」にはそのすべてが不思議で不思議でどうしようもなかった。
いったいこれは何事だ!
今まであまりにあたりまえで、その存在すら忘れていた世界のありとあらゆる要素が「僕」の存在の中心にまで付き刺さってくるような強烈な感覚。「僕」はふらふらしながらいつもの学生食堂までたどりついた。
セルフサービスのカウンターで、いつものメニューをいつものように注文する。いつもの食堂のおばちゃんが、いつものように何か言った。ん?
おばちゃんは、その口を動かし何かの音を発っした。「僕」の耳はその音を聞き取り何かを理解したらしい。いやいや、もちろん、そのときはそんなこと考えてもいなかった。ただ、おばちゃんと「僕」の間に何かが伝わったということ、そのことが「僕」を驚かせた。
食事を済ませ、アパートに戻る。
すべての経験が「僕」にとっては生まれて初めての経験。ものすごいエネルギーを使う。くたくただ。
お風呂の準備が出来た。お風呂に入ろうと服を脱いでいるときにわかった。
「僕」には肉体があったのだ。
すっぱだかのまま床に座り込んで、「僕」は自分の身体を、珍しいものでもみるかのように撫でまわした。24年間いっしょにいたはずなのに、今までその存在を完全に忘れさられていた「僕」の身体。懐かしさとともに、涙が込み上げてくる。
ベランダ越しに見える街灯のあかりがやけにまぶしい。
そうか。そうだったんだ。
「僕」は自分に起こったことを少しずつ理解し始めていた。
もっとも、「僕」が見たのは「光」ばかりでは、ない。
■第5回「生まれいづる苦しみ」
それはとほうもない恐怖だった。
「僕」はこの世界の中にたった一人で存在していたのだ。まるで母の子宮から放り出され、だれからも世話してもらえない赤んぼうのように。
もともと友達が多い訳ではなかった。それにしても、研究室へ行けば毎日のように顔をあわせ、話をし、食事をともにする友人はいる。地元の幼馴染みの友人ともたまには連絡を取り合う。その上、両親だって、弟だっているのだ。
しかし、「僕」はひとりぼっちだったのだ。
それまで自分にとって近しい関係だったすべての人が、見知らぬ他人になっていた。今にも気が狂いそうだった。
頻繁にやってくる、身体がばらばらに壊れていきそうな不安感。それが、昼といわず、夜といわず、突然「僕」を襲う。
夜、それがやってくると、ふとんを抱きしめ、息をこらして、ただ去っていくのを待つ。昼間、外を歩いている時だと、何かつかめるものを探し、そこに身体を支えて、しばらくじっとしている。
それがいつやってくるのだろうか、という想いそのものが「僕」を不安にさせた。
すがるものが何もないからっぽの「僕」は、自分をかろうじて支えるために日記を書き続けた。大学ノートに毎日4、5ページ。自分が完全に崩壊してしまうのを防ぐため、「僕」は「僕」自身から湧き出してくるものを、電車の中でも、食事の最中でもかまわず、必死で書いた。
年が開け、しばらくして昭和が終わった。新元号「平成」を発表する官房長官の記者会見のテレビを見ながら、何か新しい時代が始まったことを実感した。
絶望的な孤独感の中、一方で「僕」にはわかっていた。「僕」は助かったのだ!
身体の中を巨大なエネルギーが駆け抜けていく。身体の内側に、それまで感じたことのない暗闇の世界があった。いや、それは内側ではない、外側でもない。そう、内側と外側がひっくりかえってしまった。
それまで「僕」の外側に見えていた世界は実は「僕」の内側にあり、「僕」の内側の世界だと思っていたものが全部外側にあった。口から手をつっこまれて、身体を全部裏返しにされたような奇妙な感覚。
内と外は同じものだった。
最後まで読んで下さってありがとうございます。この体験について興味を持たれた方は
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